ほいよ。先週のお話の続きね。
んでだ。尋常小学校を出たての少年の肩にずしりとのしかかる親の残した借金。
んでもね。小学校出たての子供に借金を返せる仕事なんてものはなく... せめて自分の食いぶちだけでもなんとかせねばと...親元を離れ.. 洋服の仕立て屋さんの丁稚奉公に出る事になるんですな。
丁稚奉公とは.. 昭和初期頃まであった代表的な雇用形態で.. 商店なんかに住み込んで無給で働くかわりに、そこのお仕事..礼儀作法から始まって雑用、力仕事なんかをこなしながらそこの仕事を覚えるって仕事なんですが.. まあ。田舎のお金持ちとしてして不自由なく暮らしてたの息子からすりゃあ.. 随分なギャップやったはずですが..
性格なんか、子供やからなんか..運命を受け入れてたんかようわかりませんが..悲惨であるはずのその丁稚奉公暮らしもまんざらでも無かったようで...その頃の話しを語るオヤジの語り口はいつも愉快気で.. まあ、おおらかな時代やったんでしょうなあ..
んでもね。そんな快適な丁稚奉公Llifeももの数年で突如終わりを迎える事になるんですなぁ..。
そう..太平洋戦争の勃発やね。
記録によると.. 昭和15年(1940年)なんでオヤジが15歳の時って事かな。「赤紙」と呼ばれた召集令状がオヤジのところにも届いて.. 泣く泣くながらお国のために戦争に行く腹を固めたんですが.. ここで、また運命の悪戯。なんと、オヤジが召集令状に応じようとした矢先.. 背中に悪い「できもの」ができて生死の境を彷徨う事になるんですな。
できものは..いまで言う「めんちょう」の様なもんやったんやと思いますが.. 昭和初期の医療技術では命にかかわるもんやったらしく.. 背骨の上にできたその「できもの」は化膿が酷くて、結局、外科手術で取り除く事になったんですが.. まあまたその手術が見事に失敗して、膿が全身に回り、意識が混濁してしまうんですな。
んでそんなオヤジの容態を見た医者が、母親(つまり僕のおばあちゃんにあたる人)にこんな最期通告をするんですな。「今晩がヤマです。覚悟しておいて下さい。今は落ち着いて眠っておられますが.. うなされるような事があればもうアキラめて下さい」とそう医者が言い終わるや否や.. それまでスースー寝息をたてていたオヤジが突如.. 「んんんっ...」とうなされたんですな。
まあ.. 実際には意識を無くしてたオヤジがなんでそんな事知っとんねんっって話しはありますが.. そこはご愛敬。ともかく、その場にいた全員がオヤジの死を覚悟してよよと泣きくれたもんですが... その晩から三日目の朝に.. 突如、オヤジが目を覚まして奇跡の復活。
んでね.. 結果としてはこの奇跡の復活劇が、後にまたオヤジを救う事になるんですが.. まあ。長くなるんでまた来週ですかな.. すんまへんなあ。まあまあ、もすこしこの話しにつきおうてちょ。