今も熱い戦いが繰り広げられている北京五輪。軍曹も元体育会系の人間なので、アスリート達の活躍に胸躍らせております。

中でも軍曹大注目はやはり格闘競技。柔道とレスリングのメダルの行方が一番気がかりであります。

ですが柔道の試合を見て、いつも思うことがありまする。

相手を投げて一本!これはこれで見ていて非常にスカッとするのですが、投げ終えた瞬間にガッツポーズ。まぁ主審の審判を待つまでもなく、投げた自分が一番分かっている事でしょうから、“おっしゃっ!一本とったぞ!”との思いの表れなのでしょうが、柔道を『武道』として捉えたとき、投げてすぐに敵に背中をみせて喜んでいると・・・と思ってしまうのです。

もし敵が負けたフリをしており、背後から襲ってきたら・・・

勿論オリンピックに限らず、様々な国内外の大会で、そこまで考える必要はまるでナシです。スポーツとは自身がエンジョイするもの。その中で互いの技術をぶつけ合い、試合が終われば勝ち負け関係なしで互いを称えあう、そういうものだと思っております。

でも、スポーツとして捉えるのではなく、『武道』として捉えた時。果たしてあんな無防備な姿を敵に晒していいものか・・・。

武道』とは人格形成の道だとか、精神修養の道だとかといいますが、軍曹が考える『武道』とは、

自身が生き残る為の最終手段

と考えております。如何なる状況に置かれても、自身が生き延びる為の手段だと。

空手をやってらっしゃる方は良く御存知の【残心】。これは相手を制した!勝った!という時の心の隙を敵に突かれることのないよう、相手を倒しても心は常に戦場に置く、というものです。

今のこの平和な世の中で、そこまで考えることはないやろと思いますけどね。


エラい長々と書きましたが、何が言いたいのかと申しますと、

『武道』において一番重要な【残心】。これができてない!

ということです。『JUDO』ならここまで考えることはありません。でも『武道』としての柔道で考えた時、この残心を忘れちゃいけないんぢゃない?と思います。


ながながとスマソ