やっぱりね。

 

何も変っちゃいない。

 

今のカープの野球はマジで見ていられない。

 

本当に残念で仕方がない。

 

 

 

「勝てない時こそ応援するのがファン」

 

そうだろうか?

 

これほどまでに、わかりやすくチームがグズグズになってても

 

ただただ、黙って応援しなきゃいけないの?

 

嫌です。私は。

 

 

 

勝ち負けじゃない。むしろ。

 

なぜ、何も変えようとしない?

 

3年目だろ?これまでのマネージメントが上手く行っていると思うのか?

 

来年につながるか? 今は結果が出ていないだけか?

 

 

違う。

 

明らかに「ダメ」な方向にいっている。

 

なぜ、変えようとしない。間違っていると気付けないのか?

 

 

 

「守り勝つ野球」

 

二度と言うな。

 

 

超ワンパターンな攻撃、守備力も中の下、中継ぎは崩壊、

急造サード、走られ放題、スクイズ・エンドラン決められまくり

 

何をもって「守り勝つ」なんだ?

 

 

 

 

 

 

「確実に2塁に送って・・・」

 

二度と言うな。

 

 

 

初回、四球で出たランナーに対して、次のバッターがファーストストライクからバント?

 

アホですか。

 

立ち上がり不安定な状態なのに、わざわざ1つアウトをくれてやるか?

 

立ち直るキッカケをくれてやるのか?

 

バントは難しいし、簡単に決められている時は、相手が「ラッキー」くらいに思ってるんだよ。

 

1アウトを差し出してもいい、勝ち負けを左右する「1点」のためにバントは使え。

 

それ以外は、頭を使ってバントでアウトを献上する以外の進塁方法を考えろ。

 

 

 

 

 

「盗塁は成功率が低く、リスクを犯してまでさせない」

 

二度と言うな。

 

 

 

「走らない」とわかっていたら、相手からしてこんなにラクなことはない。

 

なんでもデータか?成功率か?

 

カープはリスクを冒して勝負を仕掛けてこない。

 

基本的にバッター100%集中でいい。

 

盗塁、エンドラン、スクイズ、この辺は警戒しないでも大丈夫。

 

そういうふうに、相手はミーティングで言ってるだろうな。

 

 

 

 

 

 

何を持ってコツコツと?

 

何を持って確実に?

 

今のカープベンチは本当に愚かに見える。

 

 

 

データは大事だ。でも相手も持ってるよ。

 

データは一つの判断材料であることは間違いない。

 

でも、データ読みだけで試合をするなら、逆にアンタはいらん。

 

 

 

相手を見ろ。チャレンジしろ。勝負なんだ。時にはリスクも冒せ。駆け引きをしろ。

 

 

今日確実だったことは、明日は確実じゃない。

 

相手が「カープは何しでかすかわからん」と思うくらい

 

攻撃も守備もバリエーションを持ってくれ。

 

それでこそ、勝負所で相手を揺さぶることができるんだろ?

 

 

 

 

勝負をしないチーム。

 

ファンだったら、それでも黙って応援すべきですか。

 

負けてもいいから、勝負をしてくれ。

 

いしだ壱成さんの3度目の離婚報道。

 

世間の「やっぱりな」な反応。

 

私も「やっぱりなと思った。

 

 

「うまくいくわけない」と思っていた。

 

考え方とか、そう思う理由は、それは人それぞれだし

 

別に、テレビでイチャついていたのが目障りだったから

 

ってワケでもない。

 

 

当初、2人の結婚の記事を見たときに

 

壱成さんはバツ2、お相手の方は19歳。

 

「本当にこれが最後」的なコメントも目にした

 

 

無理だよ。

 

過去の結婚で何を学んだ?

 

「恋愛」の感情だけで結婚生活は上手くいかない。

 

「愛情」は時間と共にカタチが変わる。

 

知っているはずなのに。

 

 

19歳の彼女の

 

「ずーっと一緒に生きて行こうね」を信じたのか?

 

別に、19歳の女性が「嘘」を付くという話ではない。

 

でも、最も多感で、本当の意味で社会と接点を持ち

 

子供から大人へと価値観をアップデートしていくのが20代。

 

世界が広がり、視野が広がり、物の考え方が変わる。

 

夫婦お互いが同年代なら、そういった価値観のアップデートを

 

共有して互いに成長することもできることもある。

 

 

 

でも、壱成さんはバツ2の40代。

 

いろいろな経験をしてきたはずの人が、

 

これから様々な変化を迎える年代の人を選んでおいて

 

これが「最後」だなんて。。。

 

 

 

相手の変化を受け入れ、対応する心構えが壱成さんにはあったのか?

 

当初のコメントからそれは感じなかった。

 

「最後の恋」とか「永遠」とか、

 

まるで現在が、そのまま未来であるかのようで。

 

 

「愛」を信じるということは素晴らしい。

 

でも「愛を信じる」という概念に寄りかかると

 

それは痛い目にあう。

 

 

全てが許されるワケではない。

 

「愛」は信じるだけではなく

 

守り、維持することが、重要だし大変なんだ。

 

 

例えば

 

壱成さんが3回目の結婚の時に

 

「いつまで一緒にいられるかは、わからない。

でも、ずっと一緒にいるための努力をする」

 

とでも言えるくらいじゃないと。

 

 

でも実際は、「2人の愛」を信じる姿勢しか感じなかった。

 

これを見て「残念だけど、それは無理」と思った。

 

 

40歳も超えて、2度離婚して、それでも「愛」だけを真っ直ぐに信じてしまう。

 

そのピュアさが、その幼さが、

 

貴方が何よりも欲する「愛」を溶かしてしまうんだ。

 

 

オリンピック開会を前にして問題になっている

小山田圭吾氏のイジメ問題。

 

私自身、小山田氏のミュージシャンとしての存在は古くからしっていて、

大変に才能のある方であるという認識はあったが、

正直、今回の騒動まで彼のこうした過去は知らなかった。

 

記事等を読んで知ったイジメの内容は、

想像以上に壮絶で悲惨な内容であったのに加え、

インタビュー当時20代後半であった本人に悪びれる様子もなかったことは

私自身にとってとてもにショッキングだった。

 

 

 

自分自身の若い頃を思い返してみる。

イジメはしていない、と自分では思っている。

でも間違っても、清廉潔白でホコリのない人間ではない。

 

悪気があって人を傷つけたことも、

当時は悪気がなくても、今思い返してみれば人を傷つけていたであろうことも、

少なからず思い当たる節がある。

 

 

 

最近、自分の中で印象に残る友人との会話があった。

とある友人が「たぶんK君(高校時代の同級生)は、もう俺たちには会いたくないだろうね」と言った。

私は心の中で「そうなんだ・・・」と少しショックを受けた。

 

K君はとても明るく、コミカルなキャラクターで

私自身にとって、大好きな友人だった。

いわゆる「イジられ役」みたいな存在で、

よく冗談で悪態をついたり、悪戯をして楽しく一緒に過ごしていた。

 

、、、と私は思っていた。

でも友人の言葉で、現代の私は自分自身の間違いに気づいた。

K君は「イジられる」ことを決して楽しんではいなかった。

多分、私はK君が許せる「イジリ」のラインを完全に超えて彼に接していた。

周りの友人の中には、それにちゃんと気づいていた人もいた。

でも、私は気づかず彼が不快に思う態度で接していた。

 

「楽しかった」と思っていたのは、こちら側だけ。

勝手に、自分が作り上げたK君像にあてはめ、

彼が嫌がっていたり、傷ついていたであろうことに気がつかず

ひいては、思い出を美化してしまっていた。

 

私は咄嗟に思った。「謝りたい」。

過去のことではあるが、K君のことを大好きな友達と思っていたから。

 

でも、それこそK君からしてみれば

20年以上も前の嫌だったことなんて思い出したくもないだろうし

別に今更、また仲良くする気もねぇし、、、て思うだろうな、、、

自分だったら、多分そう思う。

 

私が「謝りたい」と思ったのは、

1.K君が少しは気分が晴れればいい

2.自分のした事を許してもらいたい

この2つ。

 

でも1は、たぶん、今更、むしろ、K君にまた嫌な思いをさせる可能性が高い。

2については、自分勝手な思い。

 

私は許されるべきではない。

人を傷つけて、それに気がつきもせず20年以上も罪を感じることなく生きた。

今更、自分が許されるために相手に嫌だったことを思い出させるべきではない。

自分が許されて開放されたいと思うなんて、

それこそ自分勝手で独りよがりの自己満足。

 

今、K君が当時のことをどのように捉えているかはわからない。

私がすべきことは、友人と思っていた人間を傷つけていた過去を忘れないこと。

これが、私が自分なりに考えたK君に対しての向き合い方だ。

 

 

 

小山田氏は、コメントで「本人に謝りたい」と言っていた。

イジメを受けた本人がそれを望むなら、それに越したことはない。

でも、彼自身が「当事者に許される」ことを望んでいるのであれば

それは、おこがましいと思う。

 

許されないんだ。人を傷つけた過去は。

罪を犯した人間は、他人に許されるために行動するのではなく、

許されないからこそ、今の自分はまっとうに生きていると信じられるよう

その過去に向き合い、できることを頑張るしかないんだ。

 

小山田氏が社会的に抹殺されるべきとは思っていない。

許されないことをした彼が、その彼の才能を持ってして

この社会でできることをしてほしい。

 

小山田氏自身が、何かの問題に対して寄与していると感じられることをする。

自分自身が正しいと思えることを。

 

それが、許されざる者の生き方なんだと思う。