どーでもいい最近気づいたこと。
創価学会はもともと仏教系なのに、中国のチベット弾圧にはダンマリなのは
何故かということと、
男女の友情というのは結局のところ、
一時的なその場しのぎでしかないということ。
もしそうじゃない場合は、たいした友情関係ではないということ。
その人にとって自分の代わりは他人でもいいということ。
仏教の教えをまんま教えられた感じだなー。
昔の御伽噺みたいな仏教の説法でこういうのがある。
赤鬼と青鬼が一人の死体を、俺のだ俺のだと取り合っていた。
そこに町人が通りかかったので、鬼達は仲裁をしてくれと頼んだ。
ひとしきり鬼たちの話を聞いたところ、赤鬼のものだろうと判断した町人は、
『この死体は赤鬼のだ!』と言いました。
それを聞いた青鬼は激怒して、その町人の右腕をもぎ取りました。
慌てた赤鬼は、担いでいた死体の右腕をもぎ取り町人に取り付けました。
怒りが収まらない青鬼はさらに、町人の残りの腕や足をもぎ取り、
ついには頭までもぎ取りました。
赤鬼は青鬼がもぎ取るたびに、もっていた死体のパーツともぎ取られた町人のパーツを入れ替え、ついには町人と死体は入れ違ってしまいました。
しかし町人は生きていて、記憶もしっかりしています。
けれどもこの体は数分前まで他人のものだったので、
自分は何者なのか判断がつかないので、お寺のお坊さんに訪ねに行きました。
するとお坊さんは、その話を聞いた後、
仏教の教えそのままの姿の町人をみて拝み続けるのでした。
・・・まぁオチは無いですけど。
所詮自分は代替可能ということですわ。
自分自分なんて思っていても、所詮唯一無二じゃない存在ということを
肝に銘じて生きないと、この世はとかく生き難いと感じる。
世の中から全力で逃げろ!俺!ww
あ、あとひさしぶりに更新してみました。