私と同じ遊びを子どもの頃、関根勤がしていた。
全くの驚きである。
それもたまたま見たテレビの数分間の放送で知った出来事である。
こんな変わったことをしているのは、自分だけだろうなと思っていても、
実は、結構多くの人がしていたということは、多々あるのかもしれない。
このエッセイは、2021年8月の作品です。
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過去が消えていく
ほとんど、覚えていない。
幼い頃、どんな自分だったのか、家族との関係はどうだったのか、何を考え、何に夢中になり、何をしていたのか、皆目、記憶にない。結婚し、子どもができ、子育てをしてきた筈なのに、ほとんど覚えてない。家族の写真もあまりない。私自身が写真に撮られるのも撮るのも好きではない所為でもあるが、自分のアルバムも家族のアルバムも少ない。あったとしても、それを見返すこともない。思い出に浸ることもない。共有すべき思い出が少ないのである。
考えてみると、家族だけではなく、他人の関係でも希薄である。全く付き合わないという選択肢を選ぶ訳にはいかないので、付き合うことは付き合うのだが、意識はそこにはない、話題にも興味がない、早く一人になりたいといつも思っている。グルメ、旅行、アウトドア、飲む、食べる、健康エトセトラ、およそ他人が、話題にしそうなことには興味がないのである。「興味が、ありません」と、突っぱねるわけにもいかないので、相槌はうちますが、あまり聞きたくはない。だから、自分の話も相手は興味がないだろうと思って、あまり話さない。
だからと言って、自分が嫌いなわけではない。多分、自分の世界が楽しくて仕様がないのであろう。しかし、他人と共有できる世界ではない。他人との関りがない分、記憶も少ないのであろう。その少ない記憶の中に、自分だけの世界での、こんな遊びがあった。トランプ遊び、と言ってもゲームするのではなく、トランプの一枚一枚に役割を与えてストーリーを展開していく、一人だけの遊びである。こんな遊びをしているのは、日本でも私一人ぐらいだろうと思っていたら、関根勤がテレビで、私とまったく同じ遊びをしていたという話を聞いて、驚いた。
どんな過去を過ごしてきても、誇ることもないし、悔いることもない。若い時に戻ろうとも思わない。いつも今が一番幸せである。チャレンジ精神も多分、今が一番旺盛ではないだろうか。私にとって、過去が消えていっても、何も支障もない、今が楽しく生きられるし、希望の未来が待っているから。
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だいぶ、エッセイのストックが減ってきた。
このブログを辞めるか、不定期にするか、
エッセイを新たに書き始めるか、そろそろ考えねば・・・。
それも亦愉しからずやです。