このエッセイは、「余暇草」というエッセイ集の巻頭言でした。

巻頭言だから、このエッセイ集の中の人々の気持ちを代表するものか、

または、全く個人的な見解となるかは、書く人に委ねられている。

今回は、全くの個人的見解となった。

 

2018年10月の作品です。

 

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二枚の表札

 

 彼の家には、二枚の表札が掲げられている。「色川武大」と「阿佐田哲也」。純文学の時には、「色川武大」、ギャンブル小説の時には、「阿佐田哲也」。「色川」で書く時には、自然と脳内も書く姿勢も純文学だ。それが、「阿佐田」になると、ぐっと砕けて、肩の荷を下ろしたような姿勢で書いている。

 人間には四つの面がある。自分も他人も認識している面、自分は認識しているが他人は知らない面、他人は分かってても自分は分からない面、そして、自分も他人も知らない面。ひょっとすると、自分の中の七割が、自分も他人も知らない面かも知れない。今まで、興味がなかった、食わなかった、考えなかったという部分に光を当ててみよう。新発見があるのかも。

 物を書くという事は、一枚一枚ベールを脱いでいくことだ。最後の一枚を剥ぎ取った時こそ、二枚目の表札が現れる。

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6年前のエッセイです。

人には、表の顔があり、裏の顔がある。

現実世界では、なかなか難しいのですが、

虚構世界では、面白いのではないだろうか。

本名で書くエッセイや小説と

ペンネームで書くエッセイや小説では、自ずと違ってくるのでは。

ペンネームで書くものが、本来の自分の姿ではないのだろうか。

 

是も亦面白き哉。