余暇草の最終号を発行してから一年が経ちました。

私個人のエッセイ集として、「手ほどの雲」のその一を完成させました。

おしゃべりは得意ではありませんが、書く事は好きです。

上手くはありませんが、それなりに自己満足の世界です。

 

このエッセイは、2017年4月の作品です。

 

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  余暇草人

 

 余暇草人と言っても、人ではなく余暇草の雰囲気を醸し出す心のことである。何のことか分からないことと思う。私も、まだ、分からないのである。ふっと頭の中にこの言葉が浮かび、そのテーマに従って、筆を進めるのであるが、多分、起承転結も序破急もなく、結論さえも危ういことになると思う。

 やはり、余暇草の説明からではないだろうか。私にとっては、それは、説明ではなく、思い出となることであろう。余暇草同人文集創刊号は平成十四年五月二十五日に発行されたようである。「ようである」と書いたのは、私はそれに参加してなかったからである。それでは、長老に余暇草発足時の話を聞いてみましょう。

 「そうじゃな、最初は敬老会のイベントのひとつやった。結構集まってのぉ、それにNHKも取材にきて、二十人ばかしだったかのぉ。一回だけじゃ、もったいないということで、有志が集まり、文章講座余暇草が誕生したんじゃよ。あれは、確か平成十三年か十四年だったかと思う」

 そうすると、今年で十五年を経過したことになる。最初からの講師が多賀多津子先生。最初のメンバーは、牛島ミヨ子氏、久保洋子氏、榊田恵美子氏、重岡美佐子氏、廣岡健三氏と澄子氏、総勢七名ということになる。私は、中村富美子氏と共に第二号からの参加となる。年に二回の発行だから、この号で三十号となる。

一番の思い出は、平成十六年に「おんなのエッセイ」で男の私が奨励賞をいただいたことか。多賀先生がたくさんの賞をいただいているのに、私は、まさに一発屋から未だに抜け出せないでいる。

 それでも、引け目も負い目もなく、ただ淡々と文章を生み出している。「よかくさ~」の心意気で。それが、長く続いている所以かもしれない。今までの統計をとってみると、作者十九人、四七七作品。ちなみにベストスリーは、森田(七十三)中村(六十六)重岡(五十)

 最初の作品と最近の作品を読み比べても、進歩の跡は何もないような気がする。それでも、続けてこられたのは、「よかくさ~」の雰囲気を醸し出すメンバーに恵まれたことなのか。もう、ここまで、どっぷりと、浸かっていたら、やはり、どこからみても余暇草人である。

 これからの余暇草人としては、どのように歩んでいったらいいのか。私としては、やはり、何事にも囚われず、自分が思う事にのみ関わり、何かあった時には、「よかくさ~」の精神で前のみ見て、進んでゆきたいものである。

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そろそろ書き溜めたエッセイが底をつきそうになっています。

また、改めて、書き始めなければ・・・。

余暇草時代は、押し出されるように書いていましたが、

今は、押してくれる人もないので、書く量が随分と減りました。

エッセイがなくなると、ポッドキャストの「今週のエッセイ」にも

支障が出るので、何とか頑張って書くつもりです。

 

それも亦愉しからずやです。