最近は、とんと応募していない。

小説もエッセイも書いてもないし、本を読んでもない。

ちょっと余裕が出てきたので、またぞろ、本を読もうと思ってる。

今度は、まだ読んだこともないジャンルに挑戦しようと思っている。

Reedeeというアプリもあるようなので、読書記録が容易だ。

 

このエッセイは、2016年2月の作品です。

 

************************************** 

消印有効

 

 「締め切りは三月二十日。当日消印有効!」

 今は、ほとんど応募しないが、以前は応募ガイドを買ってきては、賞取りレースに参入したものである。余裕で原稿を書き上げ郵送することは、ほとんどなく、推敲に推敲を重ねてといえば聞こえはいいが、実際は七転八倒の挙句、やっと規定枚数を確保するのがやっとである。そして、郵便局へ駆け込む。時計は三月二十日午後十一時五十五分。窓口で、「消印は三月二十日ですよね」と確認する。安堵の顔には、もはや、賞取りレースの心意気はない。私の戦いはここまで、案の定、後は何の連絡も入らない。でも、消印有効日にぎりぎり間に合わせるあの快感は忘れられない。何だか作家にでもなったような気分だ。でも、今は郵便局の窓口が閉まるのが遅くても午後九時だから、そのスリルを味わうのが難しくなったような気がする。

 何事にも締め切りは必要である。商品を納める時にも、履歴書を提出する時にも、原稿を応募する時にも締切日がある。その締切日から逆算してスケジュールが生まれる。そのスケジュールを淡々と余裕でこなす人、ノープランで締切日だけを守る人、締切日さえも守れない人。十人十色であろう。

 もしも、人生の締切日が設定されていたらどうしよう。「森田義夫さん、あなたの人生の締め切りは西暦**年**月**日の**時までですよ」と宣告されたら、「えっ、それって明日じゃない?」顔面蒼白、頭脳真っ白。「あと五年か。これからどう生きようか」何とか間に合いそうかな。自分がやりたいことが。「あと三十年か。今の仕事辞めて、本当に自分のやりたいことを求めて旅に出るか」ゆっくりと考えてみる時間はまだありそうだな。

 さて、自分自身の人生締切日を仮に「二○三六年四月六日」と決めれば、あと二十年。新しい事に挑戦するには体力、知力、気力に難がある。人の役に立つような賜物もない。だとすれば、今までやってきたことの延長線上にあるものを考えなければならない。そうすると、すぐに思い浮かべるものは、「みことば日記」の完成をめざすことぐらいだ。これは、誰の為にもならないし、ただただ自分自身の満足だけだ。でも、もしも、何年か先に日本のどこかで、どこかの誰かが、私の書いたものを読み、その人生が変えられたら、その時に励まされたら、としたら感慨深いものがある。でも、私にはその事が起きたとしても知る術はない。しかし、他にできることはない。消印有効日ぎりぎりに間に合うようなスリルあることはやめて、早めに完成するように努めることにしよう。明日何が起こるか分からないのだから。

**************************************

 

残された時間は、限りなく少なくなってきた。

早くライフワークを完成させなければ・・・。

これも亦、愉しからずや です。