私が生まれた町が世界遺産へ

嬉しいことではあるが、無名の町である。

長崎に住んでいても、小菅という地名を知らない人は多かった。

世界遺産になったとしても、やはり無名のままである。

 

このエッセイは、平成27年7月の作品である。

 

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生まれた町の遺構が世界遺産へ

 

 私が生まれた町は、長崎市小菅町7。今回世界遺産に登録されたひとつに小菅修船場跡があり、その住所は小菅町5です。長崎駅から野母半島へと続く道沿いにあります。実家の前は、その道があり、渡ると下の方に小菅修船場跡が見えます。通称、”ソロバンドック”です。

 江戸末期から明治にかけて、長崎に出入りしていた船は中古船が多くて、たびたび故障していました。船を修理する設備が欲しいという声が多くあがり、薩摩藩士小松帯刀と五代才助、グラバーなどが協力して、長崎湾からすぐに船を引き上げやすくなっていた入り江小菅にそれを作ったのです。船を引き上げる為のレール上の滑り台が上から見るとソロバン状の形に見えたことから”ソロバンドック”と親しまれています。

 子供の頃は、すでに民営となっており、小型船舶の修理場となっていました。夏になると、「第八山田丸」と書かれた船舶が引き上げられ、錆を落とす音がけたたましく聞こえ、夏の風物詩となっていました。実家の五軒ほど先に「梶山商店」という駄菓子屋があり、といっても駄菓子だけではなく、パンや牛乳などの飲み物、米、野菜、缶詰なども売っていましたが、そのご主人が面白いことをしていました。店の前の道路を渡り、木の幹にロープをかけ、それを下の”ソロバンドック”に引き上げられていた船の甲板に取り付けてもらい、小さな籠を取り付け、上から下へ、下から上へと移動できるようにしたのです。その籠には作業員の注文の品が書かれ、商品とお金が行ったりきたりしていました。昭和二十八年に閉鎖されたとありますが、私の記憶の中にあるということは、昭和三十年代まで稼動していたような気もします。

 小学生時代の社会科の教科書の中には、日本最古の造船所として写真入りで”ソロバンドック”が載っていました。最近では、すっかりそのことも忘れていましたが、世界遺産の登録で俄かに脚光を浴びるようになりました。それは、私の中だけかもしれませんが。グラバー邸までは来るのでしょうが、その先歩いて二十分程の”ソロバンドック”まで足を伸ばす人はいないようです。よっぽど歴史に興味があるか、船の引き上げ方法に興味があるかしないと来ないと思われます。近くに駐車場があるわけではなく、お土産屋さんがあるわけではなく、風光明媚な場所でもなく、何のお薦め目玉もありません。実家には、今七十を過ぎた兄が一人で住んでいますが、世界遺産登録後の様子を聞いてみようと思っています。

 子供の頃から親しんでいた場所が世界遺産に登録されたということは、驚きであり、また、誇りでもあります。長崎市内の人でも小菅という町を知らない人が多いのですが、これで、少しは世界にその名を知る人が増えたことと思います。今までは、小菅を知らない人に、

 「戸町(バス終点か経由地でほとんどの人が知っている)の隣の小菅です」

 と、言っていましたが、これからは、

 「世界遺産の町小菅です」

 と、言うことにしたいと思います。

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世界遺産になってから、一度帰ったが、誰も来ている様子はない。

地元のガイドさんが暇そうにしているだけだった。

 

それも亦、楽しからずやです。