このエッセイは、この時の状況を理解していないと何のことか分からないと

思うので、かいつまんで、お話すると、

 

この当時、私は団地の管理組合の会計担当をしていました。

管理組合費の滞納者へ督促へ行った時の話なのです。

団地の5階まで上って、ベルを押したが、誰も出てこず、

帰ろうとして階段を降りかけた時に、その人は出てきました。

昼の一時頃でしたが、酔っているようでした。

その時の様子を、漱石風にエッセイにしました。

感情を抑える為に。

 

その後、この人とは、「支払った」、「支払われていない」で、

ひと悶着があって、後味の悪いものとなりました。

私の仕事ですから、仕事を全うしただけなので、仕様がないのですが。

 

2014年11月の作品です。

 

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 漱石風を気取って

 

 団地の階段を踏みながら、自分はふと考えた。

 「今歩く道が過去からの道なのか、未来へと継ぐ道なのか、今知らず、後に知るべし」

 一陣の秋風が階段の斜に当たり、踊り場の病葉を吹き上げて、自分の目の前で挨拶をした。今、逢おうとしている人は、自分にとっては無益な存在である。しかし、返信が来ない以上、逢いに行かざるを得ない。人の気配がしない玄関扉を前にして、ベルを二度押す。気配がない。あらかじめ認めた覚書を新聞受けへ投じる。気配はないが、何だか中が明るい。少しの間の後に、階段を降り始めた。三段目を降りかけた刹那に玄関の扉が開く音、即、踵を返したら、その人が佇んでいた。少し目が虚ろ、裸足、足元がふらついている。昼の一時なのにと思いながら相好の微笑みで返した。初対面だと一触即発の場面だが、少しばかりの関係性を持っていたので、お互いの用件を理解することができた。人を知る、知らないで、斯様に違うものなのか。それぞれの用件を受け入れて降りていった。

 そうして、家人に話す種が殖えたことを喜んだ。

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思えば、滞納者ともよく交渉をしてきました。

解決してもしなくても、すっきりした気持ちにはなれませんでした。

 

それも又、今では、楽しからずや です。