この出来事は、もう30年ほど前になる。

だから、この時に生まれた子は、30歳ぐらいだろう。

もう、結婚しているかもしれないし、そうでないかもしれない。

消息は、まるで知らない。

この事を分かち合える人は、誰もいない。それでいいのだろう、この世では。

 

このエッセイは、2013年12月の作品です。

 

**************************************************************************** 

ことの葉エレジー

 

 「妊娠三ヶ月なんです」

 それは、温子の一言から始まった。彼女は、まだ十七歳、相手も高校生で経済力もなければ、その親も無関心。私は、教会の伝道師という立場上、この小さな命を守る方向で動き出した。短い時間の中でやらなければならないことは多々あった。温子の検診と保護、彼の親との面談と交際禁止、主治医と生まれてくる子の養子先探し。

 「お願いします」

 酒乱の父と精神的に不安定な母を持つ温子にとっては、そう答えざるを得なかったのかもしれない。早速、両親に会いにいくが話が通じない。最後は、「こちらに任せていただきます」と通告して帰ってきた。彼の母親にも会いにいったが、関わりたくない様子。「息子さんに会わないように言ってください」とこれも通告して戻ってきた。近くの産婦人科へ温子を連れてゆき、診察を受けてもらった。幸いにも順調でほっとした。養子先はCという団体に相談し、指導を仰ぐことにした。

 「それでいいです、お任せします」

 進む方向を温子に説明し、了解を得た。まずは、彼女を安心できる環境に置かなければならない。自分の家に引き取ることにした。妻と六歳の息子二歳の娘がいる我が家では少し狭いが心は紛れることだろう。C団体からの紹介で他県の産婦人科医を紹介してもらい、

そこで診察を受けた。生まれるまでは、そこに入院することとなり、一度戻ることとなった。温子は押し黙ったままであった。

 「赤ん坊は自分の袋を持って生まれてくるから」

 牧師に一部始終を説明し、了解を得た。その時に牧師が言われた言葉であった。生きる為に必要なものを袋の中に詰めて生まれてくるから何の心配もないということだった。そのことを温子に話し、安心して連れていくことができた。一番不安だったのは、私だったかもしれない。生まれるまでの数ヶ月、温子の両親の動きも心配だったし、彼の行動も不安、そして、温子自身の心変わりも心配だった。

 「無事に生まれました、女の子です」

 安堵の気持ちと共に飛ぶように病院を訪れた。温子に似た可愛い女の子だった。抱き上げると、じっと私の顔を見て、視線をはずそうとはしなかった。私も、その子を食い入るように見ていた。その様子がぎこちなかったのだろうか。C団体の人が、「赤ん坊を抱くのがうまくないですね」その声で我に返ったような気がした。自分が生んだ子を抱くこともなく、他人へ渡さなければならない温子の気持ちを考えると切なかった。一切の手続きを完了し、真理と名付けられたその子をC団体の人に預け、帰ることにした。

 「・・・・・」

 温子は何も言わず車に乗り込んできた。生まれた時の様子も聞かなかった。生まれた子を抱いたのかも聞かなかった。温子の気持ちを聞くこともなく、車は福岡へと黙々と走り続けていった。温子の声なき声が私たちの心の中にガンガン言葉となって落ちてきた。それを拾うこともなく、整えることもなく、淡々と車を走らせていた。

 

 あれから二十年。真理ちゃんは成人式を終えた頃だろう。一年近く一緒に暮らした温子は、結婚して幸せに暮らしていると聞く。あの時、言葉を封印した温子は、今の幸せを得る為に過去を葬り去ったのだろうか。

****************************************************************************

 

あの時の姉妹は、今、妹が47歳、姉が50歳ぐらいだろうか。

この二人の姉妹の出会いが、私の人生に大きく関わってきたのであった。

今あるのは、彼女たちのお陰ともいえる。

いろいろありましたが、それも亦、愉しからずやです。