このエッセイは、確か「余暇草」の巻頭言で書いたものだと思います。

第何号の作品なのかは、失念しましたが、2012年7月の作品です。

その「余暇草」も第41号で終了しました。

約20数年続いたので、それだけで素晴らしいです。

 

**************************************

生きとし生けるものへ

 

 紀貫之の古今和歌集仮名序に記されている言葉である。「花に鳴く鶯 水にすむ 蛙の声を聞けば 生きとし生けるもの いづれか歌を詠まざりける花、鶯、水、蛙、そのいずれをみても和歌を詠めと言うのです。いや、詠まざるを得ないというのです。それは、和歌だけではなく、散文にも言えることです。生きとし生けるものへの感情がこんこんと湧き上がってくると、そこにはひとつの言葉が生まれる。そして、その言葉をひとつひとつ紡ぎ続けているのが余暇草である。これは、もはやひとつのアンソロジーである。

 最初から選ばれし者、途中で声を聞いた者、井出さんのように漫画界から呼び出された者、岡本さんのように再び、それも突然に舞い降りてきた者、その生き様はそれぞれだが、一人一人が確かにアンソロジストのようでもある。

 十年の歴史を刻んだ余暇草の底に流れているものは、絶えることのない伏流水、それはもはや枯れることはない。生きとし生けるものへ咆哮する選ばれし者のエネルギーを感ぜざるを得ないのである。 

**************************************

 

一番多い時期は10数名いましたが、団地に残ってる人は、4~5名となりました。

20数年続けていれば、年齢も20数年加味されるわけですから、

みんな年とってしまいました。それぞれの事情もあり、団地の中にいる人、

引っ越した人、亡くなられた人、それぞれです。

 

暫し、思い出に浸ることができました。

それも亦、愉しからずや です。