義父が召天して、一年と三か月が過ぎた。94歳だった。

いろいろな思い出がある。

少年志願兵時代から若い頃の話を12時間ずっと聞いていたこと。

88歳の頃、自動車の運転の事で玄関先でキーを取り合ったこと。

葬式の話を70歳代の頃からしていて、望みどおりに行ったこと。

 

このエッセイは、2011年1月(平成23年)の作品です。

この時、義父は83歳でした。

 

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病気なの?元気なの?

 

 正月に久しぶりに義父の所にお邪魔した。その時の義父の話である。

 

 この前、病気の発作が出てね。それも真夜中の二時頃。この時間だから、誰かを呼ぶのも迷惑がかかるし、救急車もいやだし、やっとの思いで、タクシーを呼んで、何とかタクシーに乗ることができてね。百道の救急病院へと行ったけど、保健証を忘れてしまって。仕方なく保健証なしで受診してしまったのだが、発作の方は、もうそのときには少しは和らいでいて、お医者さんに診てもらったらすっかりよくなってしまってね。待たしていたタクシーで帰ったんだが、家に戻ったら、保険証を忘れたのが何だか悔しくて、一万五千円ぐらい余計に払ったのが急に惜しくなって、それから、保険証を持って、自分の車を運転して救急病院に行って、一万五千円を戻してもらい、家に戻ってきたんだが、駐車場で車を入れるのに、暗いし、意識も朦朧としていたので、前のバンパーを石にぶつけてしまって、その修理代が二万円かかってしまって、タクシーで行けばよかったかなぁと思ったんだが、その時は、何だかお金を取り戻そうと必死だったんだよ。良く考えたら、タクシーで往復しても良かったかなと思ってね。

 

 この義父、御歳は、八十三歳。三年ほど前には、もう自分は長くはないからと、千葉の親戚の家まで、自分の車を運転して、今生の別れに行っている。福岡から千葉まで高速道路を乗り継いでである。そう言えば、十数年前には、葬式の事を頼まれたこともあった。

 

 病気なのか、元気なのか、分からないが、〝昭和一桁世代、一筋縄ではいかんなぁ〟と天国の片隅で誰かのつぶやきが聞こえてきそうである。

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考えてみると、手のかからない人だった。

晩年は施設に入っていたが、介護の必要もなく、

手のかかる事は、何もなかった。

救急車で運ばれることも数回あったが、入退院も何度かあったが、

一番良い時期に天に旅立った。