最近、まぐまぐを始めました。

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このエッセイは、2010年12月の作品です。

 

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文字禍・舌禍・筆禍

 

 いつだったか、地震で亡くなった女の人のニュースを聞いた。独身でマンションの一人暮らし。彼女の部屋には天井まで高く積まれた書籍があったそうだ。その書籍の下敷きとなって圧死したらしい。そう言えば、中島敦の短編小説に「文字禍」という作品がある。そのラストは、自宅の書庫で夥しい書籍の下敷きとなって圧死するのである。この作品、少し奇妙である。その設定が何とも不気味。古代アッシリヤの話。夜な夜な図書館の中で話し声が聞こえてくる。それが文字の精霊の話し声だと言う噂がたった。そこで、大王は老博士に命じて、文字の精霊の研究を命じたのである。老博士はその研究結果を大王に報告する。「単なるバラバラの線に一定の音と一定の意味を持たせるのが文字の精霊の仕事である。だから、あまり文字を盲目的に崇拝しないように」報告したその夜に老博士は文字の凄まじい呪いの声を聴きながら書籍の下敷きとなって死んでいくのである。彼女が文字の呪いの声を聴いたかどうかは定かではないが、小説もどきの事件である。まさしく文字による禍である。

 禍と言えば、口が滑る得意技をお持ちなのは政治家の面々だろう。これに関しては枚挙に暇がない。古くは吉田茂の「ばかやろう解散」、これは口が滑ったいうよりも本当の気持ちがそのまま出ただけなのかもしれないが。最近では、仙石官房長官の一連の失言、又某法務大臣の失言による更迭。自分の舌を制御できないで今まで何人の人たちが辞めさせられたことか。ちょっと考えると分かりそうなもんだが、身内だけとか、後援会の席とか、そういう安心の場はご注意ご注意、つい口が滑りがちとなるからである。私も余暇草の場ではつい気を許しがちとなるので、失礼な事を言ってはいないか心配である。陰で泣いている人がいたら・・・そんな繊細な人はいないか。おっと、舌禍事件に発展したらまずい、ご用心!ご用心!

 もうひとつの禍は、物書きに起こる筆禍。これは、発表された文章の内容がある人の利害を損なったり、当局の逆鱗にふれることがある。これは、文章ではなく絵の話であるが、浮世絵師喜多川歌麿は、豊臣秀吉の醍醐の花見を題材にした絵を発表したが、それが時の将軍徳川家斉を揶揄したものと幕府の逆鱗に触れ、手鎖五十日の刑に処せられた。その二年後に彼は失意のうちに亡くなったのである。また、小説の内容がある人の利害を損ない殺人事件になったものや裁判沙汰になったものなど数え上げればきりがない。最近、ノーベル平和賞をいただいた劉暁波氏。彼は「〇八憲章」を著して、国家転覆罪で服役中である。二十一世紀になっても、こんな国があるのかと思うと、日本で生まれて良かったとも思えるし、こんな安穏な国でいいのかとも思ってしまう。

 この三つの禍は、大なり小なり誰にでも降りかかってきそうである。まさか獄に繋がれることは無いにしても、誰かを恐れの獄につないでしまう危険もあるので注意することにこしたことはない。

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禍福はあざなえる繩の如く

人生、塞翁が馬

人生、何が起こるか分かりません。

何が禍となるのか、何が福となるのかもわかりません。

 

何がやってこようと、平常心でいられる余裕を持ちたいものです。