人生50年時代は、もう遠い話で
今は人生100年時代、とすれば、後28年残されている
しかし、健康に動けるのは後10年ぐらいか。
人生なりゆき任せだったのですが、
今考えると、自分の思うような人生だったような気がする
死ぬまでライフワークに取り組む日々です。
このエッセイは、平成22年、2010年11月に書かれたエッセイです。
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人生なりゆき任せ、人任せ
最近立て続けに電化製品が壊れてしまった。電子レンジに始まり、洗濯機、ガスストーブは去年から調子が悪いし、ガス風呂は原因不明のエラーが頻発。テレビはガタがきているし、ガスコンロもボロボロ。畳もふすまもボロボロ。ついでに言うと私の頭も体もボーロボロ。この中で新調したのは洗濯機だけ。でも、ボロボロながら何とか使っている。今のところ、新しく買い換える計画はない。
思えば、私の人生も何の計画も無く成り行き任せ人任せだったような気がする。自ら進んで事を成したことはない。いや、大学受験はそうだったかもしれないが見事に失敗してしまった。その影響があるのかどうかは定かではないが、その後の就職も人任せ、結婚も、転勤も子育ても、家を建てたのも会社を辞めたのも、その後の生き方すべてが成り行き任せ人任せ。何にも考えていない。これから先のことも当然何も考えていない。財産もなければ知識もない。年を経るにしたがって、分かってきたのは自分の無力さだけ。あるのは、天国行きの切符のみ。
さてさて、どうしたものか。考えるふりをしても当然何も出てこない。老後のことなんか考えたことはない。そもそも私には老後のイメージがない。死ぬ直前まで仕事をしていて、倒れたら即天国のイメージしかない。変えられない事に対して考えるエネルギーはないし、変えられることだって変えられない自分の無力さを発見するだけだから考えないことにしている。
好きな聖句のひとつにこんなみ言葉がある。「人に知られないようでも、よく知られ、死にそうでも、見よ、生きており、罰せられているようであっても、殺されず、悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています」前段は見事に当てはまっているのですが、後段はままならない。考える人なら、ままならない部分に解決策を与えるのでしょうが、私の結論は、やはり成り行き任せ人任せ、なのです。
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しかし、ここ数年の時代の変遷は驚きです。
しかし、私にとっては歓迎すべき時代となりました。
しかし、若者にとっては難しい選択の時代だと思います。
しかし、これもまた愉しからずやです。