会社員時代、喫茶店回りを趣味にしていた先輩がいた。

知らない街に行って、知らない喫茶店に、ぶらっと入って、

音楽を聴きながらコーヒーを飲む、

「やっぱり、Boseのスピーカーはいいなぁ」と、独り言、

帰りに、喫茶店の宣伝マッチを持ち帰るというのが常だったそうだ。

 

喫茶店は多いけど、昔風な喫茶店はもうないのかな。

私が知らないだけかも・・・。でも、確実にマッチはないですよね。

「マッチ売りの少女」という童話を子どもたちに読み聞かせたら、

三人の子どもから、「マッチって、なに?」という反応が返って来た、

という話を聞いたことがあります。

 

平成21年(2009年)5月に書いたエッセイです。

 

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あ~至福の時

 

 五月に入ると、すっかり土日の仕事が減ってしまった。それはそれで時間が取れて嬉しいのだが、収入面を考えるとちょっと困ったものだ。仕事が入らない土日はもっぱら図書館通いだ。二階の一番奥のセクションまで直行する。そこに郷土資料がおかれてあるからだ。車で行くと二時間の駐車制限があるので、もっぱらバスを利用する。その日も昭和新町のバス停から一時間に一本の図書館方面へのバスに乗り込む。バスの最後尾席へ直進し、ぼーっとするのもいいし、本を読むのもいい。眠くなると寝るといい。車窓から見る景色も新しい発見があっていい。今日の調べものは黒田継高に関してである。名庄屋松尾孫三郎の訴えを受理した人物である。黒田家譜第四巻に付箋をしながら読み進める。付箋したページをコピーして時計を見ると午後一時、三時間経ったわけだ。

 図書館から歩いて十五分程で藤崎商店街の近くまで来た。少し商店街を歩いて見る。何の目的もなく歩くのは久し振りだ。伊佐ビルが目に飛び込んできた。安楽平(あらひら)くずれ(安楽平城落城の折に辛酸をなめた家来衆)の中に中牟田某、伊佐某がいた。中牟田は岩田屋を創業した人物であり、伊佐は西の油問屋として財を成した。その伊佐家と関係があるのだろうかと思いながら歩を進めた。結構小さなお店が面白そうだ。舶来の雑貨を集めた店もあれば、こだわりの食堂もあり、楽しめそうだ。

 私は、「明古(あっこ)」という喫茶店に入ってみた。内気で外股の私にはちょっぴり勇気がいる。入ってみると落ち着いた雰囲気の中にボサノバ調のBGMが流れている。誰もいない。喫茶店に誰もいないと何だか落ち着かない。雰囲気は落ち着いているのに・・・。ランチを注文して、暫く展示していた作品に見入っていた。暫くして「ランチ、できましたよ」という声で席に戻った。六五○円のランチもたまにはいいものだ。ソフトドリンクは紅茶を注文。紅茶を飲みながら図書館で借りてきた本を読み始める。うーん。至福の時。                         2009年5月  

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記憶が定かではない。行ったような気がするが、細かく覚えていない。

 

今では、近くに最近できた「コメダ珈琲店」に立ち寄る。

スマホ片手に、コメダWi-Fiで、ネット検索、時代は変わってしまった。

手書き→ワープロ→パソコン

取次電話→固定電話→携帯電話

手紙→ポケベル→メール→ライン

媒体はいろいろと変わってきたが、便利な時代になってきた。

好きな事をすぐにやれるツールが増えてきた。

ツールを作る時代からツールを利用する時代へと。