2022/06/15()

 

70歳を過ぎても、運転技術には何ら支障がない。

でも、何となく運転するのが恐い、ちょっと判断が遅くなっている気がする。

いきなり、人が自転車が出てくる、というよりも、私の確認がおぼつかなくなっている。

免許返納はいつごろになるのだろう。

義父は、85歳過ぎまで返納しなかった。

でも、自動車は兎に角便利です。

出来れば、返納したくはないが、あと10年は大丈夫かと思っています。

 

200810月の作品です。

 

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いと憎きもの

 

 千年程前の女性である清少納言が現代に生きていたら、「いと憎きもの」がたくさんあることだろう。現代流に言えば、「超ムカツク~」。中宮である定子に仕えたのが、二十代の後半から三十代にかけての七年間だったから、感性と知性が拮抗する時期だったのではないだろうか。ともあれ、サロン的な要素が強い場にあって感じた事を書き綴ったのが枕草子、今から書き綴る私の草子は、現代のスラム的な要素が強くなってきた日本の真暗(まっくら)草子。

 貧すれば鈍すると言うが、懐に余裕がなくなると心にも余裕がなくなるようだ。懐に余裕が無いのは私だけかもしれないが。最近のドライバーや歩行者のマナーの悪さは危険水域を越えてしまった。想定外の動きが多発していて防衛運転が難しい状況になってきた。特にお年寄りの運転する車は恐い。先日もほんの五分の間に二回も危険な場面に遭遇した。前の車が右折のウインカーをあげたので、ちょっとブレーキをかけ待っていた。右折が始まったので、前に進むとこの車あろうことか対向車線の途中で右折をやめ、暫く対向斜線を走って、こちらへ入りこもうとしてきた。見るとおじいちゃんだ。それから二、三分後に交差点で右折しようとして待っていた。前方の車が左折のウインカーを出したので、次にいけるかなと思い少し出かかると、この車左折しないでいきなりまっすぐに走ってきた。最初から真っ直ぐ来ていたらたとえウインカーが間違っていても気配で分かるのだが、一旦左折しようとしてハンドルを切りながら、ハンドルを切り返して真っ直ぐこられるともうびっくりものである。交差点の中央であわててブレーキをかけてしまった。見ればおばあちゃん。最近車を運転すると必ずと言っていいくらいに危険な目に遭うのである。

 いと憎きもの、もっと雅な言葉や出来事でまとめるつもりが何の変哲も無い愚痴になってしまった。清少納言だったらこの現代をどのような言葉で綴っていくのだろうか。  

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たまには。愚痴もいいのでは・・・。

でも、聞いてくれる人は、もういない。