2022/05/12(木)

 

奄美大島では梅雨入り、ここもまもなく梅雨入りすることだろう

でも、エッセイのタイトルは「梅雨明け宣言」、書いたのは16年前、

内容は、それよりも遡ること、30数年前、25歳の時の話である。

今から46年前か~、人生の頂上は一体どこにあるのだろう?

先は見えないが、今日も登ることにしよう。

ガンバ!ガンバ!

 

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梅雨明け宣言

 

 梅雨明け十日は天気が安定しているという。だから、海や山へ行くにはこの時期が最適である。とはいっても、この時期に行ったのは一回だけである。富士山登山、三十数年前の話である。

 会社の仲間六人と鈴鹿を出発したのは、七月二十日、この年は五日前に梅雨明け宣言がなされていた。宣言されたと同時に積乱雲と青い空と暑い空気が鈴鹿の地を支配していた。遠くでは、レーシングカーの爆音が小さく大きくこだましている。富士山に登ることは夢であったし、それが数日後に現実となっていくことに感動を覚えつつ車中の人となった。

 翌日は静岡の仲間の家に泊まり、浅間神社や御前崎などを観光し、翌日、富士山をめざすこととした。天気予報は、快晴、登山には快適な天気のようである。沖縄の近くには小さな台風が迫ってきているようだが、ここまでは影響はないように思えた。五合目までは、車で行き、そこから登ることにした。陸上部のU君は、いきなり走り出した。いくら陸上部でも飛ばしすぎではと思いながらも、彼の健脚ぶりは目をみはるものがある。もう、見えなくなってしまった。彼以外はゆっくりゆっくり六根清浄と杖を頼りに登りつめてゆく。

 七合目の標の所に彼は待っていた。すました顔つきである。本当に何でもないのか、疲れが取れたばかりの顔なのか定かではない。彼はいつもクールなのである。何時間経ったのだろうか、頂上についてしまった。下ばかり向いて、何も考えずに一歩ずつ登りつめて来たので、いきなり頂上が現れた感じだった。でも、頂上は何も見えないほどに靄がかかっていた。山小屋に着くと、台風が接近しているので、明日の朝早くに下山してくださいということだった。

 下界では快晴なのに、ここは遠い沖縄にある台風の影響で何も見えない。風も雨も激しくなりつつある。でも、私の心は梅雨明け宣言である。登れた喜びが大きかったからである。   

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懐かしいなぁ、暴風雨の中を下山したっけ。

なぜか、女性二人を連れて(下山方向が同じだった)

下山した場所は目的地とは違っていた。

(河口湖へ下山の予定が御殿場へ降りてしまった)

道を間違えてしまったのだ、仲間とは分かれての行動だった。

忍野の友達の民宿へ寄るつもりだったから。

懐かしい思い出のひとつです。