2022/03/16(水)

 

M団地の中に文章クラブが存在する

半年に一度同人誌を発行している

今年の5月発行予定が第39号となる。

半年に一度だから、ざっと20年。

 

人数も少なくなり、みんなお年を召されて

T先生は、第40号までかなとおっしゃっている。

 

時の流れに抗しきれず、寂しい気はするが、

思い出が詰まった同人誌である。

 

この作品は、平成1912月の作品です。

 

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「さすらいの料理人」に寄せて

 

 M団地発「余暇草」号も来春で第十二号となる。私は、第二号より乗車した訳だが、創刊号より乗り続けている人もいれば、第十二号から乗り始めた人もいる。途中駅で乗り降りはあったものの、目的地までしっかりと導こうとするT先生に身を委ねて、心地良い電車の揺れをもっともっと感じ取りたいものである。

 

 さて、第十二号に掲載されているN氏の「さすらいの料理人」を読んで、一種不思議な世界へと飛び立つ自分に久し振りにはじけた。冒頭の「溜め息をついている」という表現、それが「深い溜め息」へと続くのである。案の定(失礼)溜め息をつく程の原因は見当たらないのにである。思春期のうら若き乙女心がまだ彼女の心の中心に残っている。その原因をウツ病に求めたのは幸せ過ぎるのだろうか。「何も当てはまらない」には、何よりも先に笑いころげてしまった。そんな自分に、また溜め息をついて面白がっている。どこまでも彼女自身が自分のことを愛している証左でもあろう。本人は気づいていないかも知れないが。

 それから、夢中になっていた事を思い出す。十円のお好み焼き。そう言えば、私の住んでいた町でも十円ウドンがあった。隣町には再映館ではあったが、三本立ての映画が四十円で見られたものだった。そんな在りし時代の風景がよみがえってくる。そのお好み焼きを作るのに中学時代ハマッたという。夢中になっただけはあって、具材、作り方、工夫した所まで微に入り細を穿った表現となっている。「食べ物に夢中だった私達」のひとりである彼女にボーイフレンドができたのかどうかは定かではないが、昔も今も、恋心は食欲よりも強いようだ。そして、「ウツ病ポーズ」をやめて「さすらいの料理人」に戻りたいようだが、この心の切り替えは羨ましい限りである。彼女自身がウツ病になることは、まずないであろう。彼女には叱られそうだが。

 N氏の作品には、いつもデリバリーサービスが込められている。何を配るのか、それは目配りであり、気配りであり、心配りであろう。私が、この作品に接し、溜め息の出るような現実世界から不思議な世界に移され、楽しめたのは確かなのだから。ある種の心地良いデリバリーサービスを受けたのと同じである。

 

 「余暇草」号は、各駅停車だが発車する度に文章の内容、表現、気迫が増してきている。目的地がどこにあるかは分からないが、まだまだ車窓の風景、車内の雰囲気を楽しみたいものである。

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私も寄稿するだけになりました。

T先生、ありがとうございます。