2021/11/26(金)

 

ブライダルの仕事を始めたのは、199811月からだった。

亡き妻が繋いでくれた仕事でもあった。

途中、離れたり戻ったり、辞めたり再開したりと、いろいろありましたが、

今も、細々と続けております。

 

そんなある一日のエッセイです。

2007年、平成19年の作品です。

 

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 或る一日

 

 目が覚めた、午前六時だ。今日は日曜日なので普通の人ならば、休みだからまだ寝ていようと二度寝を決め込むところだろうが、私には緊張の一日が始まる。結婚式の司式の仕事を始めてから、もう十年になる。千組は越えたことと思う。何回しても緊張がなくなるということはない。でも、その緊張感がなくなるとやれない仕事でもある。今日は、伊万里のサンティールという結婚式場から依頼された式がある。いつもは、私が所属しているブライダル宣教団という会社から依頼があるのだが、伊万里は別ルートだ。司式料が高いので遠くても少しは許せる。

 起きると、メルマガの原稿をたたき、朝ご飯を食べ、結婚式の準備、午前十時半の式だから、福岡を七時半に出なければならない。入りが九時半だからだ。準備が整うと礼拝をして出かける。これが平日だと、高校生の娘の弁当などが入り込むので六時前には起きなければならない。朝の補習があるために彼女は六時四十分には自転車で出かけるのだ。そして、いつものように朝の礼拝をすませて、会社へと出かけるのだ。休みのない生活なのだ。

 伊万里から戻ると、ちょっと家に立ち寄り昼食を済ませ、次の結婚式場へと向かう。山の上ホテルだ。ブライダル宣教団から電話が入る。「森田先生、山の上ホテルは今日が最後です。経営者が変わるので、次はブライダル衣装の会社が入るようです。詳しいことはまだわかりませんが」山の上ホテルで司式をし始めて三年程になる。経営状態が悪いと言う話しは聞いていたが、実際に申し渡されるとさびしいものである。結婚式場の中で一番好きな式場だった。式が終わって、二人のアテンダーの女の人に挨拶を済ませ、帰っていると、後から追いかけてくる足音が近づいてきた。振り返ると、アテンダーのひとりが話し掛けてきた。「先生、私、結婚するんです。

ここで、七月十四日、土曜日なんですけど。先生を招待しようと思って、こんな所で何ですけど」「あ~、それはおめでとう、その日は今のところあいてるので、出席しますよ」名刺を渡して別れた。冷静に考えると、なぜ?という疑問も湧き上がらないこともないが、彼女の名前もしっかりとは覚えてないし、親しく話したこともないのに。でも、祝い事なので素直に受けることにしよう。

 そんな一日が暮れると、疲れきってしまう。結婚式の緊張は、疲れとして体に残ってしまう。でも、やはり「いい式でした」という声を聞くと頑張らなければという思いが湧きあがるのである。    2007/05

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山の上ホテルの支配人ご夫妻は、本当に優しい人たちでした。

でも、苦い思い出もあります。

新郎と新婦の指輪を間違えてしまった。サイズがほとんど同じだった。

式の時には気づかなかったのですが、後で支配人から電話が入り、

お叱りを受けました。

細心の注意を払って式を執り行うのですが、・・・。

2000件以上、式を行ってきましたので、そんなミスもありました。

私には、2000件のうちの一件ですが、

新郎新婦にとっては人生一度の式なのですから。

もっと緊張感を持って行わなければ・・・。