渋々ながら買った、ワープロに毛の生えたようなノートパソコンが、私の隠されたパソコン好きの本性を目覚めさせてしまいました(笑)
一年後には全うなパソコンを買う決心をしました。当時安価なDOS/Vパソコン(IBMパソコンとそれを真似た各社のパソコン、NECや富士通、シャープが独占していた日本以外の国ではそれが標準。そのパソコンにソフトで日本語環境を実現させたものをDOS/Vパソコンと呼ぶ)が出回り始めた頃ということもありました。
私が選んだのはコンパック社製の「プレサリオ(Presario)」という本体・モニター・スピーカーが一体化したパソコンでした。当時「情報家電」と呼ばれたほど、手軽な価格でありました。
上の画像の画面にはWindows95の表示がありますが、購入した当時はまだ発売前ということもあり、Windows3.1がプレインストールされていました。
モノクロ画面からカラーモニター、ピープ音からステレオスピーカー、中途半端なMSDOSからWindowsへと、いきなり未来にタイムスリップしたような衝撃でしたね(笑)
もう一つ、自分が予期していなかった機能が「パソコン通信」でした。通信のためのモデムが内蔵されており、設定のためのソフトも用意されており、電話線を繋げさえすれば、すぐに利用できるという手軽さで、これには本当にのめり込みました(笑) テレビや書籍がとりあげないマニアックな情報を得られる便利さ・楽しさは現在のインター(ネットに通じるものがあります。
ちなみに私が利用したパソコン通信会社は「ニフティサーブ」といい、今でも「アットニフティ」の名でインターネット接続会社として残っていて、現在も利用しており、メールアドレスにパソコン通信当時のIDの名残があります。
パソコン通信・インターネットと私の付き合いに関しては後日掘り下げた形で書きたいと思っています。
そして、やはりゲームです(笑)
プレサリオには鉄道路線開発シミュレーションゲーム『A列車で行こう』を始めとして当時メジャーであった各種ゲームがプレインストールされていましたが、いまいち自分には合わず、新規で買った光栄の歴史シミュレーション『太閤立志伝Ⅱ』にとにかく嵌りました(苦笑)
以上遊んでばかりの印象を与えますが、本機購入の1年後にWindows95が発売となり、すぐにインストールしてみたのですが、お気に入りの『太閤立志伝Ⅱ』が起動しなくなり、慌てて調べまくったところEMSメモリの調節が必要とわかり、無事に解決できたりと、遊びながらも否応なしにパソコンの知識は身につくものです。毎月「DOS/Vmagazine」という雑誌も愛読しており、メモリーの増設に挑戦したりなど、BCL以来のマイブーム到来と言ったところでした(笑)