東日本大震災から6年 | 埼玉県川越・鶴ヶ島・坂戸 吉田健司行政書士/社会保険労務士のつぶログ

埼玉県川越・鶴ヶ島・坂戸 吉田健司行政書士/社会保険労務士のつぶログ

開業して間がないにもかかわらず、行政機関勤務経験を基に妙な自信を持って活動する行政書士/社会保険労務士が、その取扱の中で感じたことや考えたことの記録です。時間がある方もない方もぜひ、お立ち寄りいただけると嬉しいです。

 

東日本大震災の日、当時役所勤めだった自分、休暇を取って図書館で社労士の試験勉強をしていました。書棚の本が通路に重なるように飛び散った光景を覚えています。その後三陸海岸を襲った津波のニュースは衝撃でした。

 

妻の実家が沿岸の久慈市にあり、又、震災の2、3年前まで岩手県沿岸の釜石市で勤務していましたから、当時一緒に勤務していた方や、その地で親しくさせていただいた方もあり、そうした方々のことが随分、気になりました。

 

当時、自分は内陸の盛岡市内に住んでいましたが、自宅向いのお宅では沿岸部に嫁いだ娘さんとその家族が避難して来ていました。浜近くにあった家は跡形も、、という状態だったそうです。

 

子供達は既に結婚し、孫もいて都内に住んでいましたが、こんなとき、岩手からだと簡単に行くことはできません。実際、新幹線も止まり、ガソリン不足で車も使えずでした。しばらく後に運行を再開した花巻~羽田の飛行機だけが上京の手段になりましたが、このときは、離れて住むことがこれほどのものかと思ったものです。

 

 

あれから6年

岩手を離れ、何の地縁も血縁もない、知り合いなんて全くいなかったこの地で、社労士/行政書士事務所を立ち上げ、仕事をさせていただいています。子供や孫に会おうと思えば車でも電車でもほぼ1時間あれば、というところに住んでいます。

ありがたいなぁ、と思う日々です。