約4年前
私の唯一の濃い血のつながりが(母が)
亡くなり
遺品整理を理由に
自ら 安定していた職を辞し
毎日 氏神様のお社へ
掃除をしに行くようになり
どれだけ自分が周りの方々に
生かされてきたのか?
どれだけの見える 加護を賜り
生かされてきたのか?
ボロボロの一軒家でも
母は必死に命をかけて守ってくれた
亡くなってから
私が本当に生きるか死ぬかの瀬戸際の時
母がね?
肩が触れるくらいの距離で
私の横をすっと追い越したんだよ
その次の日に母の兄から
お金が届いた
その時に氣づいたよ
亡くなっても なお
私を守ってくれていると
それに氣づいた時
私は何て あさはか だったんだ
つくづくそう感じた
周梨槃特様の様に
枯れ葉一つさえ無い神社の境内を
毎日5時間ぐらい掃除しながら
ここに行き着いた
自分はなぜ今生きているのか?
そこから答えを遡り
時には傲慢になりながらも
基本 私は周りに支えられて
命を繋ぐ事が出来た
その答えに氣づくことができた
その時に初めて
お釈迦様と周梨槃特様のお話しが
腑に落ちた
自分の心の中にこそ
塵や垢がべっとりとこびりついてるのを
氣づくことができた
私は過去世でお釈迦様の弟子をしていた
正直 厳しい修行はもう
懲り懲りリなんだけど
きっと私の魂は知っている
厳しさの中にこそ本当の優しさがあり
その優しさに周りはいつ氣づくか
待ってくれている
周りが自分の心の鏡になり
氣づくまで待ってくれている
そこに氣づかなければ
自分で自分の首を絞めることになる
そのことに氣づかなければ
人は 魂は救われない
自分を救うのも 人を救うのも
全ては自分次第
人の魂が救われるからこそ
浄土へ導かれる
私は今こうしてブログを書く事が出来る
今までも今も こうして生きているのは
周りの皆さんを生かし
周りの皆さんに生かして頂いているから
(今でも自分のエゴから生まれる
感情が自分の邪魔をします😥)
先日 菊水千鳳さん主催の
蝦夷の魂の解放 祈りのシンフォニーが
如実に教えてくれている
魂の救いこそが本当の救い
今生きている 私たちは
様々な見えない加護や見える加護
その支えにより 生かされている
私の母は命をかけて
そのことを私に教えてくれた
そして今も私を護ってくれている
母という存在は 親という存在は
いつまでたっても有り難い
そんな経験を経て今
毎日2回簡易仏壇に手を合わせ
ただただ感謝を伝え
仏様に私のご先祖様が
心穏やかに安らかに
過ごせますように🙏と
祈ることしかできない
人は失って 初めてその尊さに気づく
そう言いますが それは本当だった
人という生き物は
なんてあさはかで
なんてあさましいのだろうか……
どれだけ暗いトンネルの中にいようと
そこに光は差し込むんだよ
その光に氣づくか氣づかないかは
その人の見方次第
そこに氣づかなければ
同じことが目の前に置かれるよ
神の御心の
光の源より
光を
あまねく人の心に
流れ入れさせたまえ
神の御心の
愛の源より
愛を
あまねく人の心に
流れ入れさせたまえ
神の御心の
光と愛の源より
愛と光を
あまねく人の心に
流れ入れさせたまえ
🌬️✨👫🐉