実に困った
何がって今、失業中なのです

2月の上旬に会社を退職し転職したものの
ここの会社が大ハズレ

池袋にある某太陽光の会社なのですが
雇用契約を業務委託だと言い出し
お給料を払ってくれないのです

正社員として雇用されたはずなのですが
(実際には初日には業務委託として書類を交わし
翌日は契約内容が変わったと正社員での雇用契約をしたのですが)

フルコミだの色々言い出してきて・・・
本当におかしな会社でした。
いまどきこんな会社成り立っているのも不思議ですね


辞めたのが3月21日
その間、就職活動やら父の葬儀等があり
気がつけば4月の上旬が終わり・・・

今までの仕事の経歴を考えてみると、
某サービス業界での仕事が一番楽しかったように思う
経理で入社し、ホテルの立ち上げ業務をまかされた時は
色々な人と関わり色々なお客様に出会い
本当に1日1日があっというまだった

と感じたのも先日、面接で色々話していくうちに
IT業界にて営業で面接しそのなかで言われた事

そこの会社で残る方法をお考えになられなかったのですか?
との問いに
「私も当時すぐ行動に出してしまい、もしかしたら別の選択もあったのかもしれません。冷静に考えず、その時の感情でやってしまったことは今考えると勿体なかったと思いますと」
確かにあの会社で残る術はあったと思う。

しかしこういうことは終わってから気づくもので当時はそのような事は考えてもおらず
会社が悪いと決めつけ行動していたのだと思う。

その会社への入社だってなかなか仕事が決まらず困り果てていた所に
人材紹介からの紹介予定派遣だった自分をあそこまで育ててくれた会社だった
そのような会社に対して会社が悪いと考え行動した結果あのような結果だったのだろう。

現在、仕事を探し今の状況を一日でも早く
打破したいと考えているもののやはり現状はなかなか厳しいものですね

この歳での転職はなかなか難しい・・・

以前、何かのTV番組で
『血の繋がっている妹は妹じゃない』
とオタクっぽい人が、言っていた。
恋愛ゲームなどに良くある
妹を恋愛対象としているため
その様な言葉が出たのであろう。

我が家の兄弟は三人兄弟で
全員男の為、三男が生まれる前に
母が女の子が欲しいと言っていたのを
思い出す。

それから三十年をすぎた頃、私は
両親と訳あって会うことを避けていたが、父親が寝たきりになり、実家へ
足を運んだ。

足立区にあるマンション。
両親と弟が、住んでいるはずなのに、
20代の女性が一緒にすんでいる。

弟に理由を聞くと、彼女ではなく、会社の同僚で住む所がないとの事で
一緒に住んでいると言う。
(六本木の高級クラブで働いていた為とても可愛い娘だった)

その事にうちの両親もこころよく承諾したらしい。

なんて、お人よしな両親と兄弟なのだろうと、当時思ったのだか、
話を聞くと、いろいろ問題があるものの
寝たきりの父を介護してくれたり、
母親と一緒に料理をしたり
話し相手になってくれたりと
いい娘だなって感じた。


それから再度彼女と会った時は今から二年前、丁度母親のお通夜の時。

そして、4月5日に父親も亡くなり、
昨日、告別式に来てくれた。

彼女は一緒に母親の墓参りまで一緒に
来てくれ静岡に帰っていった。

一緒に電車で帰った時
彼女が、言ってくれた一言
『私の東京のお父さんとお母さんです』

私は『君がそう思っているように、俺達の親もそう思っているはずだよ』と
返した。

なんか、親孝行出来なかった自分に
にとって、とても重い言葉だった。

彼女がいてくれたおかげで、
両親も救われた事もあっただろう。

弟は数ヶ月後に、ベルギーへ行く為
彼女との連絡は、私がすることになる。

不思議な出会いであるとともに、
両親にとっては数ヶ月ではあったが
娘が出来た事に喜んでいたに違いない




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1995年3月20日
当時、私は東銀座にある会社へ向かっていた。
住んでいる、草加から東銀座までは
一時間近くかかる。私は現地へ少しだけ早く着くようにし、喫茶店で朝食を取るのが日課となっていた。
ただ、この日はお腹の調子が悪く北千住で途中下車し、始発を待ち、銀座まで向かう事にした。いつも乗っていた二両目の四人席付近にすわり、ウトウトとし始める。気づけば、秋葉原につき、電車が止まる。やがて、車内アナンスが流れる。最初は、人身事故とその後、ガス爆発がおきたというアナンスが流れ電車は止まり、振り替え輸送なった。私は、秋葉原だった為山の手線で有楽町まで向かい東銀座の会社まで向かった。会社へ着くとどうも様子が違う。築地で沢山の人が病院へ運ばれていると、テレビでの報道。当時、インターネットも普及し始めた頃の為当然、ケータイも通話が主流だった。おそらく、メールは出来なかった頃なので情報はテレビになる。
同じ課の人がどうやって来たの?
築地が大変な事になってるよ。と
テレビをみると、目を覆いたくなる位の惨事が…
『地下鉄 サリン事件』


事件の内容はその後、
徐々に明らかになっていったが、
本当の所全てが明らかになったとは
思えない。
今尚、後遺症のある方もいると聞く。
私が勤めていた会社の社員も影響が
あった。
私はこうして、生きているのは、
幸か不幸かわからない。
しかし、何の障害もなく、
生かされている以上
幸せなのかもしれない。

自分が幸せと感じなければ
それは、違うものであると。
今日この日が来て
ちょっと自分の存在、在り方を
考えてみようと思う。



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