『何のために生きてるのか解らなくなるよ』
というフレーズがあり
このフレーズに深い意味があると感じていた。
→若き日の尾崎豊から
→世の中に発せられた
→若き日の尾崎豊から
→世の中に発せられた
→究極の問い掛けである!
しかしながら、その問い掛けに対して、
全ての人に当てはまる答えを
答えられる人はいないと思う。
答えられる人はいないと思う。
なぜならば、人とは十人十色であり
人それぞれに
環境も個性も価値観も異なるからだ。
人それぞれに
環境も個性も価値観も異なるからだ。
その解を求めて生きてゆくことこそが
人生そのもののような気がするからである。
人生そのもののような気がするからである。
→その解は、恐らく一生を掛けて自分で探し出すもの!
→周りの人間が経験から助言や手助けはできたとしても
→レールを引ける訳では無い。
今の社会システムは
この正解の方程式を高学歴に当てはめようとしてきたような気がするが
大学のブランドや知識がその後の人生を全て決定できる訳でもない。
結局のところ、この問いは、他人に問い掛けるのではなく
自分自身に問いかけるべきものなのだろうと
最近、小田和正の『そして今も』で気付かされたような気がした。
→自問自答して導き出す努力をする以外に
→自問自答して導き出す努力をする以外に
→その答えに近づくことはできないと思う!
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小田和正の『そして今も』 のフレーズに
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何を 求めて こゝまで 来たのか
まだ 見えない 多分 これからも
たゞ ぼくは 何をすれば いいのか
少しだけ 分かったかも 知れない
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この歌詞を人生の先輩である
小田和正氏が書いていることに
強い説得力があると感じた次第である!
人生を振り返ってみても正解は無いかもしれないが
振り返ってみて、自分の歩んだ道こそが
『何のために生きてるのか解らなくなるよ』に対する
唯一正解に近い答えなのではないのだろうかと・・・!
最近、思うようになってきた。
なぜならば、その道は、自分自身である程度選択して
決めて辿ってきた道なので!
失敗も含めて
通り過ぎてきた経験からであれば
通り過ぎてきた経験からであれば
何のために生きてきたのかが
何かしら見い出せる筈である!
■リンク
尾崎豊の『十七歳の地図 』
小田和正の『そして今も』