享保の大飢饉 1732 享保 17年)、徳川吉宗治世 江戸時代


井戸正明(井戸平左衛門)

「芋代官」いも代官

甘藷(サツマイモ)によって餓死者を出すこと

はなく、それどころか余った米を 伊予 松山藩に献上する余裕があった。

窮民救済のため数々の施策をおこなった幕僚と

して知られ、飢饉対策の作物としてのサツマイモ

の効能にもいち早く気づいた。


享保の大飢饉 1732 享保 17年)当時の気候

冷夏と害虫により中国四国九州地方西日本

各地が凶作に見舞わた。



1731 享保 16年)末より天候が悪く、年が明

けた 1732 (享保17年)には、5月、6月まで雨

と低温がつづくなど悪天候が続いた 

1765 明和 5年)に成立した福岡の地誌『石城志』は、1732年の2月から雨が続き、麦が半分腐って熟さないまま、5月まで雨が降り続いたと記録している 


5月にはコメが実り始めて農民を喜ばせたが、

6月半ばになると害虫が「田地の水に浮いて川

に流れ出るに、水の色も変ずるほど也」と

『石城志』が記録するほど大発生した 

梅雨からの長雨が約2か月間にも及び、冷夏をもたらした上に、ウンカなどの害虫が稲作に甚大な被害をもたらし、蝗害として記録された

☆☆☆☆☆

【私感】

と低温がつづく悪天候。

江戸も昭和も令和も同じ様なもの。

飢え死にしたくなければサツマイモ。

戦中戦後の飢餓にもサツマイモの

茎で飢えをしのいだと言います。

ガーデニングにサツマイモ。

享保の大飢饉をはじめ三台飢饉は

長雨と冷夏と害虫が関わっています。

徳川吉宗さん大変て゛したね。

多くの人々の飢え死には今も

パレスチナで続いています。

高カロリーのサツマイモの種芋を

パレスチナに送ってあげたいですね。