蝉の死骸 | アジアの季節風

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アジアの片隅から垣間見える日本や中国、あるいはタイを気負うことなく淡々と語る

 毎年この時期になるといつもそうなのだが、道を歩いていると蝉の死骸をよく見かけるようになる。

 

 別に下を向いて歩いている訳ではないのだが、蝉くらいの大きさになると特別見ようと思わなくても、自然に目の中に飛び込んでくる。

 

 これが中国の街みたいに道路に色んなゴミが散乱している状態であればつい見逃してしまう可能性もあるが、日本のようにきれいな道路ではそういうものがあると、どうしても違和感を感じてしまうのだ。

 

 最初はそれが何なのか分からなくても、ちゃんと見れば蝉の死骸だと直ぐに分かる。そして何となく切なさみたいなものを感じてしまう。

 

 蝉の命というのは儚さの象徴みたいなもので、幼虫の間は地中に何年もいて、7年目か何かに地上に出て来て羽化して成虫になる。

 

 そして1週間くらいの間にメスは卵を産み子孫を残すと死んで行くらしい。7年も地中にいてやっと地上に出てきたと思ったらたった1週間で死んでしまうのだ。

 

 

 私なんかには、全く何の為に生まれてきたのか良く分からない一生に見えるが、ただ子孫を残すことだけが蝉の本能なのだろうか。

 

 生きているその1週間の間に何か楽しい事のひとつでもあったのだろうか、とついつい考えたくなってしまうが、そんなことは多分全然ないのだろうな・・・。