従業員と物言う株主 | アジアの季節風

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 一週間ほど前、日経平均株価が34年ぶりに最高値を更新した時、私はそれに関する記事を書いた。その記事がこちら↓。

 

日経平均株価が史上最高値を更新 | アジアの季節風 (ameblo.jp)

 

 しかしその時に大事なことをひとつ書き忘れていたので、今日はそれをちょっと整理してみたいと思う。

 

 私は上記の記事にも書いた通り、経済の事に関しては全く疎いし、まして株のことに関してはズブの素人なので、もしかしたら間違ったことを言うかもしれないので、その時はどうかご勘弁を。

 

 という事で本題に入るが、株価が上がっても一般国民はそれを全然実感していないだろうと言うのは、それ程大きく間違ってはいないだろう。

 

 それは元大蔵官僚だった高橋洋一氏も言っているが、その恩恵を一般国民が感じられるのは半年か1年後くらい経ってからだろうと言うのは頷ける。

 

 というのも株を持っている人が今はその会社の従業員ではなく、会社とは全く関係のないごく少数の大金持ちの投資家が殆どになってきたからだ。

 

 私が昔務めていた会社は中小企業に属していて、株式会社ではあったが、株式は公開せず、その株の殆どはその会社の経営陣とか従業員が持っていた。

 

 その頃の社長は創業者で、子供もいなかったためか欲も少なく、従業員を非常に大事にしてくれる人だったので、会社全体が家族の様な雰囲気があった。

 

 従業員も会社に入って10年ぐらいすると、上司から株を買わないかと勧められるようになり、私もその頃は僅かだが株を持ったことがある。

 

 その頃はまだ会社もそれなりに儲かっていたので、暫くの間は毎年3割くらいの配当があったし、先輩などからは5割配当の時もあったと聞いている。

 

 まあ私の場合は元金がそれ程の金額ではなかったので、3割配当と言っても配当金は僅かではあったが、それでも何かの足しにはなっていた。

 

 しかしその内その創業者も亡くなり、経営陣も入れ替わり、社会全体の流れもグローバル化していく中で、会社の雰囲気も次第に変わって行った。

 

 それが1990年前後だったと思う。

 

 それからは会社の業績も段々悪くなり、分社化も進み、私はその分社した方に移ったので、その時点で株も手放したと記憶している。

 

 その10年後くらいには本体も倒産してしまった(会社更生法か何かで結果的には生き残って今もあるが)。

 

 で何が言いたいかというと、会社というのは一体誰のものか、という事だ。私がいた会社では創業者は明確に従業員とその家族のものだと言っていた。

 

 ただ最近の会社はそうではなく、株主のものだと言うような風潮がある。確かに株主が投資をしてくれているから会社が成り立っていると言う処もある。

 

 だから利益が出れば、それを株主に分配するのは当然だという理屈である。まあそれも理屈としては分からない訳ではない。特に米国などではそうなのだろう。

 

 しかしいくらお金を出しても従業員がいなかったら成り立たないという処もある。特に製造業などではそうだ。

 

 日本の企業は私がいた小さな企業だけではなく、松下幸之助氏が創業者だった大企業のような所でも同じような体質を持っていた。

 

 だからこそ日本人は会社に対して愛社精神も持てたし、会社の業績を上げる為に一生懸命に働いたのだ。勿論それが自分の為にもなる事も分かった上で。

 

 日本はここ30年くらい、グローバリズムの波の中で、日本が本来持っていた良い処や強い処を棄て、ひたすら欧米のやり方を見習ってきた。

 

 しかし果たしてそれが本当に正しかったのかどうか、今一度立ち止まって考え直す時期に来ているのではないだろうか。