「あの白く乾いた季節」-30 | アジアの季節風

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      6 三島由紀夫の自決


 十一月も下旬になったある日、私はいつもより遅く多分午後の二時頃にベッドから身を起こし、タバコを吸いながらFMラジオの音楽にボーッと耳を傾けていた。


 音楽の合間に時々ニュースが入るのはいつものことなのだが、その日のニュースは私に異様な驚きを与えた。


 ニュースは三島由紀夫の割腹事件を伝えていたのだ。アナウンサーの興奮した口調そのものがその事件の異様さを象徴していた。私は一瞬自分の耳を疑った。


 現場からの実況中継だったようで電波の状態が悪く非常に聞き取りにくい状況だったが、何度聴きなおしてみてもやっぱりそのようだった。


 あの三島由紀夫が死んだ。それもこんな時代に切腹で。この作家は私の好きな作家の一人だっただけに、その事件は私には大きなショックだった。


 しかし冷静になってよく考えてみて、最近の彼の週刊誌なんかで書いたり発言したりしていた内容などを思い起こせば、死が近づいていることを予感させるような言葉は色々とあった。


 それでもまさか、と言うのがその時の正直な気持ちだった。


 その日は大学の学園祭が始まる日で、私はメイといつも行く喫茶店で四時半に待ち合わせをしていた。四時半きっちりにその店に行ってみるとメイは先に来ていた。


「ねえ、三島由紀夫が割腹自殺したの知ってる?」顔を合わすなりメイの方からそう言ってきた。


「そうらしいね。俺もさっきラジオのニュースで聴いたばっかりなんだけど、びっくりしたよ」


「大学ではその話でもう持ちきりよ」


「そうだろうね。学園祭なんかぶっ飛んでしまうようなビッグニュースだ」


「確かにそうね」


 私とメイはそれからひとしきり三島由紀夫についていろんな意見を交わしたが、彼女の方はこれまでそれほどこの作家に興味もなかったみたいで、ただ何故あんなことするのか不思議なようだった。


 しかし私は何となく彼の気持ちがわかるような気がした。だからその気持ちをそのまま伝えようと思ったが、どう言えば良いのか適当な言葉が見つからず、結局中途半端な話しかできなかった。


 その後五時に山本と京子が来ることになっていたのでそれを待って、私達は喫茶店を出て四人でキャンパスの方に向かった。


 キャンパスでは学園祭のいろんな催しをやっていた。教室では文連に属するいろんな文化サークルが模擬店を出していたし、広場ではロックコンサートをやっていた。


 我々は模擬店でたこ焼きや焼きソバなどで腹ごしらえをした後、八号館の裏の空き地で六時から開催される「演劇センター68/69」(通称黒テント)の前衛芝居を見ることにした。


 芝居は約二時間で終った。それなりに面白くはあったが、前衛的な芝居なので意味がいまいちよく理解できなかった。


 意味など解らなくてもいいのかもしれないし、彼等自身が解られることを拒否しているようにも私には思えたが、やはり物足りなさを感じずにはいられなかった。


 八時頃四人はそこを出て学生街のはずれにある居酒屋へ向かった。そこでささやかではあるが京子の送別会をやるつもりだった。(つづく)