京都祇園祭(後祭)追記あり | 鬼妻ファイト日記

鬼妻ファイト日記

毎日の姑とのバトル日記を、完全卒業しました。
10年の在宅介護を終えてからの姑は、施設に2年、療養型病院に
2年入院しましたが、令和4年11月3日(文化の日)に、97歳にて他界しました。
これからは、自分の老後の日記を書いていこうと思っています。

本当は先週祇園祭に行く予定でした。

ところが、夫がその日大相撲を見に行く約束が入っていたと言うことで、この話、一旦は中止になったのです。

ま、私はあのクソ暑い京都の街を歩くのは御免こうむりたいと思っていたので、それならそれでいいと思っていました。

ところが、なんと祇園祭には後祭と言うのがあるということがわかって、それでこの日月に行ってきたのです。

 

祇園祭には神輿(八坂天神)をお迎えする「前祭(さきまつり)」と、これをお送りする「後祭(あとまつり)」があり、それぞれに山鉾が巡行するんだそうです。

その中でも大船鉾は、南の船鉾は「前祭」、北の船鉾は「後祭」の殿車(しんがり)をつとめるそうです。

 

大した知識も持たずに、祇園祭に乗り込んだ私ですが、夫は京都にいたこともあって私よりは知識があるので、どこに鉾があるのかを調べてそこへ連れて行ってくれたのです。

 

 

 

と、その前に……、

今回はいろいろな人との出会いがあったのです。

私たちが京都に着いたのはちょうど昼頃。

お昼はちょっと格式のある料理屋に入ったのですが、今回は夫の思惑通りのグルメ旅行になってしまったのです。

この話はあとでまとめて。

 

山鉾は後祭では11基しかありませんが、全部はさすがに暑いし、疲れるしで、半分しか見ることが出来ませんでした。

最後に大船鉾を拝観させて頂きました。

実は、こういうことを教えてくれた人がいるのです。

 

 

 

この方です。

石塚みず絵さんです。

三味線のお師匠さんでもあります。

 

たまたま夕飯にと入った居酒屋さんに、後から一人で入ってきた人なのです。

カウンターに座っていた私たちの隣に座ったのです。

入ってきた時からタダモノならぬ雰囲気を醸し出した粋な着物姿で、お店の老女将とも親しく会話を交わしていたのです。

どうやら、今回祇園祭のお手伝いに来たと言うのです。

今も終えて帰ってきたところだと。

夫はその話を聞いて、早速祇園祭の鉾の話を切り出し、知らなかったことをたくさん教えて頂いたのです。

 

そこで私たちは、大船鉾の会館に行って、鉾の中を見せて頂いたのです。

入場料500円。

石塚さんに教えて頂いた一つに、

「天井を見てきてくださいね。素晴らしいから」と。

なんと上村松園の孫の画家が描いたそうです。

ビデオで撮ったので、ここには掲載しません。

 

 
この鉾の中に入れてもらえたのです。
身近に太鼓や笛や、あの鉦の音も聞かせて頂きました。
 
追記:
石塚さんに教えて頂いたことのもう一つは、鉾の車。
大船鉾の車は、まだ漆などを塗っていない白木のままであるということでした。
 
 
 
とにかく壮大な鉾の姿に圧倒され、見に行って良かったです。
でも、暑かった~。
7時でも32℃ありましたからねえ。