久しぶりに耳にした「水俣病」。
中学の社会の教科書に出てきた公害病の水俣病。
まだまだ苦しんでおられる方がいるというのが、衝撃的でした。
私が初めてその病気が発症した姿を見たのは、映画館のニュースで(昭和ですから、映画の前に白黒のニュースがあったのです)
なんと、水俣病を発症した猫だったのです。
壁に自らぶち当たったり、上に飛んだり、急降下したり、まるで気が狂ったとしか思えない行動が映し出されていたのです。
「水俣病」を令和の子たちは知らないでしょう。
そこでちょっと説明。
水俣病とは、化学工場から海や河川に排出されたメチル水銀化合物を、魚、エビ、カニ、貝などの魚介類が直接エラや消化管から吸収して、あるいは食物連鎖を通じて体内に高濃度に蓄積し、これを日常的にたくさん食べた住民の間に発生した中毒性の神経疾患です。
熊本県水俣湾周辺を中心とする八代海沿岸で発生し、始めは原因の分からない神経疾患として扱われていました。その後新潟県阿賀野川流域においても発生が確認されました。
要は水銀がいけないんですよね。
今日の日経のコラムにこんな逸話が。
父親が水俣病になり、母親も看病で身体を壊したとき、勝子ちゃんは小5だった。
朝からご飯を炊いて家族に食べさせ、片付けた後で登校する。
担任は、
「よく教室で居眠りをする。そんなときはなるべく寝かせるようにした。叱る方が恥ずかしいですからね」
と見守った。
石牟礼道子さんが1961年にエッセイで紹介している1家族の姿だ。
勝子ちゃんは今でいうヤングケアラーであろう。
家族にも酷な重荷を負わせる病気である。
「奇病で金がもらえてよかね」。
そんな嫌がらせを受けることに、勝子ちゃんは納得がいかない。
「悪いことしていないのに、意地悪されると、
うちはこらえられん」
そんな呆れる意地悪が、今回の環境大臣と水俣病患者らとの懇談会でも行われたということなのです。
1人3分間の発言と決められていたのに、オーバーする人が多かったらしく、マイクを役人が切ったというのが顛末です。
大臣が帰られる時間が決まっていたというのが、言い訳です。
そもそも訴えたい人たちに3分間なんて時間もあってないようなものだし、未だにこの問題があると言うこと自体、解決していないわけだから根は深いのです。
結局政府は一応見捨ててはいないよということをアピールしたかった、そのためのパフォーマンスだったのかなって疑われても仕方ないです。
印象的だったのは、マイクを切ったなんたら室長さん。
能面のような無表情で、謝罪していた姿です。
所詮、他人事?
きっと水俣病の何たるかもよくわかっていない世代ではないかと思われます。
公害病認定って難しいとも聞きます。
線引きみたいなものが、難しいんでしょうね。
コラムではこう締めくくっていました。
人の痛みや怒りへの想像力を欠いては、問題は前には進まない。
勝子ちゃんが、
「うちは他の人の分まで腹が立つもん」
と語ってから、もう60年を超えた。