人が人を信じられなくなったら、そこに何が生まれるだろう。
憎しみ?嫌悪?はたまた殺意?戦い?
昨日は、哲学者カントの生誕300年だったそうな。
哲学に憧れ(憧れるものであるかどうかはわかりませんが)、哲学の道に進みたいと思った高校3年。
「大学は哲学科に進みたい」
と母に相談したら一蹴された苦い思い出。(笑)
カントの著書に書かれているのは、悲観的な人間像。
「戦争はあたかも人間の本性に接ぎ木されたかのようである」
(天声人語より)
放っておけば戦争になるものなのだそうだ。
人間は理性のある生きものだと思っていたが、どうやらそれ以上に好戦的な生きものでもあったと言えよう。
永遠平和の実現が無限に遠い先のことだとしても、
「つねにその目標に近づくこと」をカントは求めたのだそうだ。
今の世界は、まさに永遠平和とはかけ離れていると言っていいでしょう。
大谷くんが、信じていたであろう通訳の水原さんに裏切られて、本当は平常心ではいられなかった毎日だったであろうと想像します。
それでも、野球に専念し、結果を残すその精神力、そして、彼の口から水原さんを恨む言葉は聞かれず、むしろキレイにシャットアウトした行動力には、ただただ驚嘆するばかり。
大谷くんみたいな人が増えれば、戦いなんか最小限に済むのではないかと、ふと単純に思ってしまった。
これではとても哲学者にはなれないなと思いながら。(;^ω^)