義親が独りになったとき。 | 鬼妻ファイト日記

鬼妻ファイト日記

毎日の姑とのバトル日記を、完全卒業しました。
10年の在宅介護を終えてからの姑は、施設に2年、療養型病院に
2年入院しましたが、令和4年11月3日(文化の日)に、97歳にて他界しました。
これからは、自分の老後の日記を書いていこうと思っています。

義父が亡くなってこの10月に、27回忌の法事をやります。

 

そのことをナニサマに告げると、ボケたか、

「え?37回忌かね?」

って。

「おばあちゃん、それじゃあ、おじいちゃんは50代で亡くなったことになるよ」

と思わず言ってしまったが、

「あゝそうだね、27回忌だわね」と。

時々、この人の本心を疑ってしまう。( 一一)

 

そして、最後に余計な一言(二言?)を忘れない。

 

「私ばっかり長生きして悪いねえ」

「いつまでも生きていて悪いねえ」

 

悪いなんて本心から思ってないんだから黙っていろって。( 一一)

 

さて、ブロ友さんのブログにあった

「年老いた親を独りにしておいては可哀想だ」

という周りの言葉。

 

本当にそうだろうか。

 

あの当時の親でも、子供に負担をかけたくないと思っている親はたくさんおられるわけで、そのうえ、独りのほうが自由でいいと思っている人もおられる。

 

我家も、義父が亡くなって十数年、義母(ナニサマ)は独り暮らしをしていました。

私たちとの同居の失敗はあったにしても、あのナニサマの性格なら独りで暮らした方が気ままでいいと思っていたのではないだろうか。

 

それでも義弟は独り暮らしの母親を不憫に思ったのか、長女が名古屋の大学に入学したのを機に、実家に長女を下宿させたのです。

この義弟の長女、なかなかサバサバした子で、祖母と言えどそう遠慮する子ではなかったようです。(笑)

 

ナニサマは、とにかく気ままに生活してきたものだから、孫にご飯を作るのが苦痛だったようです。

年寄りが作るものはまずいんじゃないかと気をまわしすぎて、自分の首を絞めていた感があります。

女の子なのだから、気に入らなければ自分で作るでしょう。

孫娘も、大学から帰ってくると、近くのスーパーにバイトに行ってたみたいで、祖母とあまり関わらないよう上手に暮らしていたようです。

それでも、ナニサマはだんだん苦になるのです。

 

決定的だったのは、その当時、ナニサマは友達と海外旅行に行くようになっていたことです。

年に1,2回だったと思うけど、国内旅行にもしょっちゅう行っていたので、「海外旅行に出かける」と孫娘に告げると、

「え?また出かけるの?」

との返しに、繊細な(笑)ナニサマは痛く傷ついたようです。

 

その愚痴を夫に話していたナニサマ。

そういう軽い孫娘の一言が、軽く流せないのです。

自分は結構無神経な(上記のような)言葉を平気で吐くくせに、人から自分が批判されていると思うと、それが許せないのです。

 

あげく、だんだんストレスが高じて、孫娘の行動を批判し始めます。

 

孫娘に対してもこれですから、ましてや赤の他人の嫁なんぞ受け入れることなんか出来ないわね。

 

結局孫娘は1年ほどして出ていきます。

 

もともとこの人には同居なんて無理なんです。

 

夫は母親の性格をわかっていたので、自分から同居を持ち出すことはありませんでした。

その代わり、週に一度か最低でも月に2回は義実家訪問を余儀なくさせられていましたけどね。

夫は年に2,3回母親を旅行にも連れて行ってました。

もちろん、私も一緒に何度も行きましたよ。

 

心は拒否ってましたが(笑)、そのくらいの孝行はしないといけないかなとヒトトシテ(久しぶりに使いました(笑))の役目を果たしておりました。

 

ナニサマが脳梗塞で不自由な体にならなければ、同居もしていたかどうかと思います。

なるようになったのかもしれません。

 

大変な10年を過ごさせてもらったけど、夫にしてみれば独り暮らしさせていた母親に後ろめたさを感じていたこともあり、親戚の目もあったりで、長男としての役目は果たせたと思っているのではないだろうか。

 

私の中にも嫁として、親をほっておくことに決しておおらかでいられたわけではないが、ナニサマのような性格の親は、独り暮らしでもいいような気がする。

同居は、お互いにストレスを感じるだけだから。

たまに会うのが、長持ちの秘訣だとつくづく思います。(笑)