適応障害について③

 

 

こんにちは!

 

本日も、適応障害について…。

 

主に、私の体験談となります。

 

もし今、職場、環境のストレスに耐えかねている方は、せめてもの心の支えとなれば。

 

 

以前、少し触れましたが、私は自衛官(陸上)でした。

 

自衛隊には”階級”があります。

 

世間でいうところの、”役職”です。

 

平社員、係長、部長、社長といったように、自衛隊では

 

士→曹→幹部→将

 

といった序列があります。

 

当然、序列が上がれば給与も上がり、任務の重さも変わっていきます。

 

私は、この序列の中では

 

”2等陸尉”

 

でした。

 

12段ピラミッドでいうところの3~4段目くらいと思ってください。

 

当時、職歴としては約14年目。

 

任官して3年目でした。

 

当然、平(士、曹)の頃に比べて、その業務量と職責の重さは比較にならないほど忙しく、日々残業は当たり前。

 

夜中12時を回る事はザラで、翌朝7時前には何事もなかったように登庁。

 

きつかったですが、それでも上司と部下、同僚からの信頼が、私の心の支えとなり、頑張れました。

 

しかし、事件は起きました。

 

起きた、というよりも、ここ1年くらいのわずかな歪が、少しずつ大きなものとなり、気付けば巨大な、取返しのつかないほどの爪痕となってしまった…。

 

と、いうのが適切かもしれません。

 

ある日、私は上司(中隊長)に個室に呼ばれ、こう言われました。

 

「お前の小隊(約30名程の部隊です)の隊員から、相談を受けた。お前、そいつに”小隊のお荷物”、”使い物にならない”、とか

言っているらしいな。どういう事だ?」

 

当然、身に覚えがありません。なんの事だか、意味が分からず、頭が真っ白になりました。

 

しかし、少しづつ過去を辿り、「もしかして、あの事が…」という出来事を思い出しました。

 

 

当時の私は、小隊長として、30名近い隊員を抱えながら、四国の各部隊(14旅団といいます)の、各部隊の射撃の名手を選抜し、数か月後に富士(静岡)で行われる

 

”AASAM集合訓練”

 

いわゆる「旅団事業」に関わる隊員を育成し、選考会に合格させよ。という

 

大変、重たい任務を任されていました。

 

これは、将来オーストラリアで行われる世界射撃大会に出場できる選手を輩出するBIGイベントであり、当然、失敗は許されません。

 

大変なプレッシャーでした。

 

そんな中で、本来の職務である小隊長として、部下30人の掌握をしていく必要があるため、私としては

 

次級者(自分より下の階級、社長→副社長、部長→副部長のようなイメージで良いです)の方に、業務をお願いするほかありませんでした。

 

次級者(小隊陸曹といいます)、そしてその部下隊員2名、計3名を集め、私の置かれている事情を話しました。

 

そして、申し送り資料として、今の小隊の現状と、これからの行動予定、方針等について話しました。

 

そこでは、もちろん良い話だけではなく、悪い話…。

 

部隊として、都合の悪い話もしました。いわゆる”素行不良”の隊員です。

 

これは、当然の事であり、これを理解していないと、その隊員が問題を起こしそうな場合に、事前に阻止する事ができません。

 

「この隊員は、こういった一面があり、このように指導していかないと…。」

 

「この隊員は、こういった家庭事情があり、金銭的に借金を…」

 

といった話をしました。

 

1時間ほど話したのち、私はしっかりこう言いました。

 

”他言無用、ここにいる4人以外には、絶対に話さないでくれ。皆の信用、信頼に関わる”

 

と。

 

自分の知らないところで、そういった話をされていたと知ったら、当然のように不愉快です。

 

絶対に、漏らさないでくれ。

 

そういって、会同は終わりました。

 

当時は、そういって業務を委ねる他無かったのです。

 

 

「…その話が、ねじ曲がって伝わってこんな事に…」

 

私は、中隊長に事情を話しましたが、聞く耳持ちません。

 

もう、カンカンです。

 

「今すぐ、その本人たちに謝れ。」

 

その一点ばり。

 

正直、不本意ではありましたが、こうなっては後の祭り。

 

私は、すぐ謝りに行きましたが、本人たちは釈然としていない様子。

 

「そりゃ、そうだよな…。でも、こうならないように、小隊陸曹たちには徹底していたのに…」

 

なんともいえない、行き場のない怒りとも、不甲斐なさともいえない気持ちで過ごす日々が続きました。

 

その時からです。

 

上司からも、部下からも信頼を失い始めたと感じていたのは。

 

以前とは、あきらかに対応、反応が違い、私はとても惨めな気持ちとなっていきました。

 

「こんなはずでは…」

 

AASAMという、一大イベントを成し遂げたにもかかわらず、その後に続いたこのヤルセナイ日々。

 

今、思えばここから”適応障害”の兆候が出始めたのではないかと思います。

 

 

続きは、また次回に。