東日本大震災から1年となった11日、県内でも各地で追悼のための行事が行われた。発生時刻の午後2時46分。人々は黙とうをささげて冥福を祈った。県内に避難し、不安定な生活を続ける被災者らも「あの日」に思いをはせた。
◇別居生活続き、二重負担重く--岐阜・岩崎さん
福島県須賀川市の岩崎志津佳さん(36)は昨年7月、友人を頼りに長女知佳ちゃん(3)と次女倫佳ちゃん(1)を連れて岐阜市に避難した。「持って来られたのは子供の服だけ。近くの電気屋さんのご好意で調理器具や暖房器具を提供していただき本当に助かりました」。夫勝也さん(39)は福島で水質管理の仕事を続けており、別居生活が続く。
「子供が幼く、車がない。近くのスーパーへ買い物に行くぐらいで、ほとんど外出してません。夫はなかなか岐阜へ来られない。娘たちがお父さんの顔を忘れるのが心配」と話す。現在、福島県内に70代の母と、勝也さんの親戚が4人暮らしているが、正月は帰省できず、家族で迎えられなかった。4月からは知佳ちゃんが岐阜の幼稚園へ通う。「二重生活で貯金も少なくなった。家族でいつ暮らせるか、5年先に私たちがどこにいるのか分からない」
◇無償貸与終了で閉店し郡上離れ--料理人・野田さん
昨年7月に郡上市内で廃業旅館を借りてレストランを開店した福島県富岡町の料理人、野田清太郎さん(43)は無償貸与期間が終わったことから昨年12月で閉店し、郡上を離れた。地元支援者によると、名古屋に避難中の両親や妻、子供たちと合流し、再起を目指しているという。
宮城県女川町から高山市に避難した飲食業の男性は毎日新聞社のアンケートに「賃貸住宅の家賃を払う負担が大きい。仕事と住宅の見通しが立たないため故郷を離れることを考えている」と回答した。福島県から高山市に避難した男性(62)も、放射能への不安などから故郷を離れることを考えていると回答。子供に関する心配ごとでは「偏見やいじめを見ている」と回答している。
◇
県災害対策本部によると、東日本大震災が発生後、親戚や友人らを頼って県内に避難した被災者は延べ800人を超える。現在も福島、宮城、岩手、茨城、東京、千葉、栃木の415人が県内各地で暮らしている。うち福島県からの避難者は298人を数え、72%を占める。大半は福島第1原発事故による放射能汚染により避難生活を強いられている。
県教委などによると、県内の小中学校へ通う被災児童・生徒は57人。スクールカウンセラーが過酷な体験をした子供たちを見守り、心のケアに当たっている。【立松勝】
◇南三陸商店街支援を 岐阜・柳ケ瀬でイベント
岐阜市・柳ケ瀬の日ノ出町商店街では、宮城県南三陸町の「南三陸志津川福興名店街」を支援するイベントがあった。津波で甚大な被害を受けた名店街への募金を呼び掛け、直径2・5メートルの大鍋で約1000人分のキムチ鍋が振る舞われた。
会場では本巣市出身の造形作家、中島法晃さん(32)と岐阜市出身の画家、高橋ユタカさん(40)による「ライブペイント」も行われた。午後2時20分、縦2・7メートル、横2メートルのキャンバスに中島さんが「いきます!」という声とともに「祈」の文字を2本の筆で力強く書き込んだ。
3月3日から5日まで南三陸町を訪れたという中島さんは「被災地では言葉が出なかった。この日、この瞬間に浮かんだ言葉を文字にした」と話した。中島さんからの誘いで加わった高橋さんは「画家として、震災は目を伏せられるものではなかった」と述べた。
完成した作品は日ノ出町商店街のアーケードに掲げられる予定。【梶原遊】
◇あかりに冥福祈る 長良川でこよみのよぶね--岐阜
岐阜市の長良川では、被災地の復興と鎮魂の思いをあんどんのあかりにこめて浮かべる追悼行事「こよみのよぶね」が行われ、避難者27人を含む市民約600人が絆を確かめ合った。岩手県大槌町でも同時進行で同様のあんどんが浮かべられた。
右岸の長良川プロムナードには、思いや願いを書き込んだ大小約1000個のあんどんも並べられた。午後7時前、「3」と「11」の大きな数字をかたどった2隻の船が川面に現れ、1分間の黙とうがささげられた。
同市美殿町の鷲見寿美江さん(48)、玲緒奈さん(11)親子は涙ぐみながら「感動しました。現地への思いがきれいな水に浮かぶあんどんの光で一つになったように思います」と話した。【山盛均】
3月12日朝刊
(この記事は岐阜(毎日新聞)から引用させて頂きました)
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◇別居生活続き、二重負担重く--岐阜・岩崎さん
福島県須賀川市の岩崎志津佳さん(36)は昨年7月、友人を頼りに長女知佳ちゃん(3)と次女倫佳ちゃん(1)を連れて岐阜市に避難した。「持って来られたのは子供の服だけ。近くの電気屋さんのご好意で調理器具や暖房器具を提供していただき本当に助かりました」。夫勝也さん(39)は福島で水質管理の仕事を続けており、別居生活が続く。
「子供が幼く、車がない。近くのスーパーへ買い物に行くぐらいで、ほとんど外出してません。夫はなかなか岐阜へ来られない。娘たちがお父さんの顔を忘れるのが心配」と話す。現在、福島県内に70代の母と、勝也さんの親戚が4人暮らしているが、正月は帰省できず、家族で迎えられなかった。4月からは知佳ちゃんが岐阜の幼稚園へ通う。「二重生活で貯金も少なくなった。家族でいつ暮らせるか、5年先に私たちがどこにいるのか分からない」
◇無償貸与終了で閉店し郡上離れ--料理人・野田さん
昨年7月に郡上市内で廃業旅館を借りてレストランを開店した福島県富岡町の料理人、野田清太郎さん(43)は無償貸与期間が終わったことから昨年12月で閉店し、郡上を離れた。地元支援者によると、名古屋に避難中の両親や妻、子供たちと合流し、再起を目指しているという。
宮城県女川町から高山市に避難した飲食業の男性は毎日新聞社のアンケートに「賃貸住宅の家賃を払う負担が大きい。仕事と住宅の見通しが立たないため故郷を離れることを考えている」と回答した。福島県から高山市に避難した男性(62)も、放射能への不安などから故郷を離れることを考えていると回答。子供に関する心配ごとでは「偏見やいじめを見ている」と回答している。
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県災害対策本部によると、東日本大震災が発生後、親戚や友人らを頼って県内に避難した被災者は延べ800人を超える。現在も福島、宮城、岩手、茨城、東京、千葉、栃木の415人が県内各地で暮らしている。うち福島県からの避難者は298人を数え、72%を占める。大半は福島第1原発事故による放射能汚染により避難生活を強いられている。
県教委などによると、県内の小中学校へ通う被災児童・生徒は57人。スクールカウンセラーが過酷な体験をした子供たちを見守り、心のケアに当たっている。【立松勝】
◇南三陸商店街支援を 岐阜・柳ケ瀬でイベント
岐阜市・柳ケ瀬の日ノ出町商店街では、宮城県南三陸町の「南三陸志津川福興名店街」を支援するイベントがあった。津波で甚大な被害を受けた名店街への募金を呼び掛け、直径2・5メートルの大鍋で約1000人分のキムチ鍋が振る舞われた。
会場では本巣市出身の造形作家、中島法晃さん(32)と岐阜市出身の画家、高橋ユタカさん(40)による「ライブペイント」も行われた。午後2時20分、縦2・7メートル、横2メートルのキャンバスに中島さんが「いきます!」という声とともに「祈」の文字を2本の筆で力強く書き込んだ。
3月3日から5日まで南三陸町を訪れたという中島さんは「被災地では言葉が出なかった。この日、この瞬間に浮かんだ言葉を文字にした」と話した。中島さんからの誘いで加わった高橋さんは「画家として、震災は目を伏せられるものではなかった」と述べた。
完成した作品は日ノ出町商店街のアーケードに掲げられる予定。【梶原遊】
◇あかりに冥福祈る 長良川でこよみのよぶね--岐阜
岐阜市の長良川では、被災地の復興と鎮魂の思いをあんどんのあかりにこめて浮かべる追悼行事「こよみのよぶね」が行われ、避難者27人を含む市民約600人が絆を確かめ合った。岩手県大槌町でも同時進行で同様のあんどんが浮かべられた。
右岸の長良川プロムナードには、思いや願いを書き込んだ大小約1000個のあんどんも並べられた。午後7時前、「3」と「11」の大きな数字をかたどった2隻の船が川面に現れ、1分間の黙とうがささげられた。
同市美殿町の鷲見寿美江さん(48)、玲緒奈さん(11)親子は涙ぐみながら「感動しました。現地への思いがきれいな水に浮かぶあんどんの光で一つになったように思います」と話した。【山盛均】
3月12日朝刊
(この記事は岐阜(毎日新聞)から引用させて頂きました)
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