風の時代。
正直、詳しくは知りません。
知らないのに何か感じます。
何かが大きく変わってる。
大きく音を立てて変わってる。
素晴らしい世界の幕開けのような!
その変化の時代を生きて見せて頂く事が
嬉しくて感謝の気持ちでいっぱいです🙏
私は"癌"が判る約1年前から口の中が痛くて歯医者に通っていました。
虫歯なのか?
歯槽膿漏なのか?
違った!何の痛みなのか?
言われたのが
(多分部分入れ歯が合わないのかも?)
???
わからないまま1年は通っていました。
痛み止めが欲しかったからです。
痛み止めがなかったら仕事が出来ません💦何が痛いのか?
だんだんと、何処がいたいのか?も
わからなくなっていました。
顔中か痛いのです。
ある日、いつものように仕事をしている時、右の鼻からタラーっと鼻水が🥲
えっ?何で右だけ?
不思議に思っていると、
鼻水から鼻血に😢何これ?
それも右だけ?
今度は耳鼻咽喉科へ
それでもわからない💦
(まぁ炎症起こしてるのかな?)
程度でした。
痛みはだんだん酷くなる。
痛み止めは貰い続けてました。
ある日、痛み止めがなくなったので病院へ行ったら🏥お休み。
どうしよう〜😫
そこで何処でも良いから開いてる病院へ行こうと別の病院へ
昔からある、おじいちゃん先生の病院でした。私を心配する友人は(その病院は、もう先生がおじいちゃんだから止めた方が良い、もっと良い病院探したら?)って言われたのですが、何故かその時、30年前に子供を連れて行った時の優しい先生の顔が浮かんだのです。
今でも不思議です。
行ってから問診した途端、顔色変わって
(直ぐに検査出来る病院を紹介するから行きない。今日は診療代要らないから直ぐに行きなさい。)と何か大変な事が起こったかのように言われました。
???何?何なの?
訳わからないまま検査の出来る病院へ🏥
そのおじいちゃん先生との出会いが
私の命の分かれ目となったと言っても過言ではありません。
検査の結果、「上顎洞癌」
又直ぐに紹介状を渡され〇〇医大へ
検査検査のたらい回し💦
結果、ステージ4、
ルミエールリンパ転移、肺尖にも少し。
とにかく〇〇医大では少しずつ検査検査
いつになったら治療してくれるの?
先生達は若く、工場の流れ作業のように
パソコンばかり見て、次から次へと、淡々とこなしていく。
診てもらっている私は人間じゃない、パソコン上の画像。???
やっと治療法が決まったのが、皆さん
ご存知の癌3大治療
抗がん剤、放射線、手術
上顎洞癌の手術となったら、
顔半分が無くなる。外見はともかく、
日常の生活が送れなくなる。
ご飯は食べれない、流動食になる。
そんなの嫌だ〜
自分なりに調べた。
そして重粒子線治療を決めた。
だけど又々紹介状が要る。
〇〇医大へ紹介状を書いてくれるように
伝えても中々書いてくれない💦
どれだけ訴えたか?
やっと渋々受け入れてくれたのが
放射線科の先生でした。
やっとやっと治療が出来ると喜び、
自分で調べてた
兵庫県の重粒子線の病院へ行った🏥
そこで言われたのが
(リンパに転移しているので出来ません)え〜😱
やっとやっと、ここまでこぎつけたのに〜💦
これが、よく言われる"癌難民"?
もう、疲れて(どうでもいいから、
とにかく治療してくれ〜)と、ごねてたら、院長まで出てこられ説得される羽目になる。
その院長が素晴らしい方で色々と話をして下さり(全て自分の名前を出していいから、生きてください)と
入院出来て同じ治療を受けれる病院を教えて下さいました。
それからが又問題💦
又々紹介状が必要だし、重粒子線治療や
陽子線治療は終わった後に引き受けてくれる病院が必要になってくる。
"癌"を発見してくれた病院は〇〇医大を紹介してくれたのに、辞めたから行けそうに無い💦
またもや癌難民になった気分でした。
だけど、このままだと先へは進めない。
思いっきり〇〇医大を紹介してくれた
先生個人に手紙を書いた。
自分の考えと願いを込めて✨
結果
受け入れて下さり、
無事、福井県の病院へ行く事が出来、
陽子線治療を受ける事が出来たのです。
私にとって長い長い道のりでした。
苦しい姿は見せたくなかった私は、
1人で動いていました。
振り返ると、
私って凄いなぁ〜
このまま死ねない。という思いが、
こんな行動を起こさせたのだと、
又思いが天に通じ、
素晴らしい出会いを
起こしてもらったのだと、
今この時、
ブログを書きながら
気づかされました。
ブログを書くキッカケを与えて下さった
上山光広さん
そして"愉快な仲間たち"
に心から感謝します🙏
これから私の気づきは
どんどん起きる事だと
信じて止みません。
写真は当時、
福井県の病室から撮った夕焼けです。
太陽は☀️いつも、何処でも
私達を見守ってくれてるんだ。
今日も長々と最後まで読んで下さり
ありがとうございました🙏
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