最近、思うように身体の悪さに悩み多くなっています。
出会いも少なくなり、笑顔も少なくなり、生きることも苦しく辛いです。
僕を知って頂けたらと思い書かせて頂きます。
障害者と見られる事は悲しい情けない気持ちでいますが、正直な素直なままに書きますね。
受け止め方や受け取り方は自由です。
SNSなどのフォロワーさんとの繋がりを大切に一期一会の気持ちでいます。
僕が身体障害者手帳を持っているの事を知っている方もいます。
どうした手帳を持っているか!?詳しく話したことは無いと思います。
障害名は【脳性麻痺による両足関節機能障害】である。
言葉の通り、脳が麻痺して両足の関節に障害があります。
どうして、このような手帳を持っているのか!?
未熟児で生まれて、数ヶ月間保育器なるモノに入っていたそうです。
ほかの子よりも、ハイハイ歩きもヨチヨチ歩きも・・・
かなり遅いようでしたが、両親は普通に育ててくれました。
両親的には普通の小学・中学に行かせたかったと思います。
しかし、幼稚園から周りの目が変わり始めました。
子供の目は、悪気は無いのですが・・・
ズバズバ周りと違う所に目がいくもので、言葉として嫌な事を言ってくるのです。
幼稚園ではやっと歩ける程度で・・・
駆け回る子供らに「走ろう!」と言われた記憶があります。
子供心に親に『行きたくない!』と理由を言わずに・・・
ダダを言っていたと思います。
それでも難なく・・・!?幼稚園を卒園しました。
普通の小学1年生に通えるように、親が送り迎えをすることになりました。
昔は荷台が大きい三輪車に、僕を乗せて学校まで往復してもらっていました。
幼稚園からの子供も居ましたので、言葉だけの悪口ではなくなっていました!
行動までもエスカレートしていました。
歩けないなら上履きを隠され!動けないなら運動帽子を隠され!
嫌気がさして、学校から家まで帰ろうとしました。
歩きづらい足を引きずって、転び転び転倒しても・・・
400メートルぐらいで、近所の方が異変に気づき保護されました。
学校側は、イジメを認める事はしません!
身体の異常を原因に学校側は、病院での診察と学校の転校を進めて来たそうです。
いい厄介払いが出来たのだろう。
そうして、1年生の夏には・・・
身体障害者手帳での判断で養護学校に転校しました。
小学時代は、1メートルを歩くだけで2~3回は転んでしまいます。
だから、いつも頭にヘルメットに、手足にプロテクターのような器具を装着!
身体へのダメージを防いでいましたが…
ズボンには、ひざアテがいつも必要なくらい転んでいました。
年齢を重ねるにつれて、体力や筋力も少しはついてきました。
中学に上がる頃には、何とか歩いて学校に行けるようになりました。
学校に行けるとは、バスを使い電車に乗り学校の送迎バスに乗って学校に!
出来るだけ、椅子に座りすわりの片道約2時間かけてですが、長時間の歩行はまだ無理でした。
中学の先生が学校から自宅までの40キロぐらいを・・・
徒歩で歩こうと思いつき!夏休みに実行された。
1年の時は10キロくらいまで歩いた!
時間にすると6~7時間もかかってギブアップをした!
2年間かけて、歩く練習をしていた。自分と体重を支えられるように・・・
持久力を保てるように、ひたすら下半身を鍛えていったように覚えています。
中学最後の夏!
学校から自宅まで、ひたすら6時間かけて歩ききった!
高校生の時に、少しは走れるようになりましたが・・・
小学生が100メートルを走るくらいです!
どれだけ、成長が遅いのでしょうね。
普通に考えたら、歩けて当たり前のようにしていても・・・
鍛えあげてきたものです!
脳麻痺の影響が多きかった両足ですが・・・
手のビクつき!けいれん!
小さい頃から言動の伝わり方にも難点があり・・・
きちんと話していても伝わらない!
思っている言葉がうまく出てこない!
どれだけ、言葉を飲み込んできたか。。。
本来は語りたくない部分ですが・・・
友人には身体障害手帳の存在は知っている。
自分にとって少しでも体を動かす事は大切であり・・・
いつ急に歩けなくなるかも知れません!
やり過ぎにも注意しなくてはならない!
脳麻痺は、自分自身ではどうにもならない!
体力維持が肝心です。
しかし、歳を重ねるにつれ、維持する事が難しくなってきています。
徐々に脳の回転が悪くなったいるような気がします。
今は頑張って生きていくことにだけ考えています。
自分自身には負けたくない!悔しい思いもしているが仕方ない!
自分の身体なのだから一生付き合うしかないのです。
ぐだぐだと書いてしまいましたが伝わりづらい感じですかね。
今のままを文字にする事も難しさを痛感しています。
悩みは尽きないですね。