11月10日、一人のボクサーが現役に幕を閉じた。
2015年10月16日、アメリカイリノイ州シカゴで日本ボクシング史上初となる日本人同士による世界戦が行われた
日本人初の世界4階級制覇を懸け、当時WBA世界スーパーフライ級チャンピオンだった河野公平氏に挑んだが、ローブローの減点やダウンを奪われるなど、終始劣勢のまま0-3の判定で敗北し、試合後人知れず引退していった一人のボクサーがいる。
その男の名は、亀田興毅。
最初の引退表明から2年3ヶ月が経った今年元日に、突如として現役復帰を表明。
一試合限定の引退試合を行うとし、5月に元WBC世界フライ級チャンピオンでプロ初黒星を喫した因縁の相手、ポンサクレック・ウォンジョンカム氏を相手にヘッドギアなしの非公式の公開スパーリングを行い、2ラウンド12秒TKO勝ち
「TFC 東京ファイトクラブ Vol.2 〜ラスト亀田興毅 最期の現役復帰〜」
しかしこの試合はJBCこと日本ボクシングコミッションの規定により、引退から5年が経過していて現在40歳になるポンサクレック氏にボクサーライセンスが再交付されなかった。
にも関わらず、強行的に行われた試合でJBC非公認。
しかもAbemaTV独自のルールで、ジャッジなしのKO決着のみ、勝敗が付かなかった場合は視聴者による投票で勝者を決めるという訳の分からんルールの上、この試合をJBC公認とか意味不明な事を言い出す始末。笑
JBCは最後まで断固として、
公式試合として認めなかった。
よって公式記録となる興毅氏の戦績には残らない。
非公式の公開スパーリングなので「勝利」という扱いはどうかと思うが、その試合後のリング上で引退を撤回して現役続行宣言笑
元世界4階級制覇チャンピオンのローマン・ゴンサレス選手との対戦を熱望していたが叶わず、この度2度目の現役引退表明となった。
今後は現在所属している協栄ジムでのトレーナー、そして「TFC東京ファイトクラブ」のイベントプロデューサーとしても邁進していくそうだ。
結局ロマゴンとの対戦は叶わずに現役に花を添える形となったが、自分自身ロマゴンが受けるとは思っていなかったし、ポンサクとの試合も何とかJBCに認めさせて公式にしようと画策していた姿は最後まで「亀田家」らしい…笑
何よりロマゴンと本気で対戦したいなら、引退して何年も経つおっちゃんとスパーリングを行うより、きちんとした形で復帰戦を行い、地道に実力者との試合を重ねてから世界ランカーに返り咲いた後で、奇跡が起きてロマゴンが選んでくれる事を待つしかなかっただろう。
それとも自分でもう一度世界王座を獲りに行き、統一戦や防衛戦で戦うとか出来ただろう。
自身の成績から複数階級制覇チャンピオン同士の試合はビッグカードになるかもしれないが、あなたはもはや「過去の人」。
そんな人のためにいまだ第一線で活躍する名チャンピオンがアウェーに来るわけがない笑
もしも本当に試合が実現していたとしても、あなたがロマゴンに勝てるわけがないし術もない。
何より死ぬぞ笑
公開処刑なんざ誰が見る笑
元よりロマゴンに大変失礼な話。
ロマゴンはビジネスを本当に良く分かっていて良かった
結局ポンサクレック氏との公開スパーリングも、全ては「ボクサー亀田興毅」という自分自身にケジメをつけるためだけに行われた自己満スパーなだけだったに過ぎない。
まぁなんだかんだ言いながらも、これまで亀田三兄弟が獲得した数々のタイトルは、良くも悪くも「三兄弟で世界王者」という世界初の快挙
たとえそれが作られた世界王者だったとしても…
さらば闘拳
寂しいではなく、またな
もう二度と世間を騒がせるようなことはすんなよ笑
お疲れさんでした
そんな亀田氏とのツーショット
昨年ゴールデンウィークに、
静岡の駿府城公園で行われた肉フェスに亀田氏がご来場
来場するという情報を知り、イブアイしずおかの生放送終了後に会場へ来られた際に撮ってもらいました
なかなかの好青年でしたよ…
ありがとうございました
浪速乃闘拳 亀田興毅(32歳)
1986年(昭和61年)11月17日生まれ B型 さそり座 寅年
プロ戦績:35戦33勝18KO2敗
アマチュア戦績:16戦15勝1敗
獲得タイトル
・第33代OPBF東京太平洋フライ級王座(防衛0=返上)
【2005年8月21日-2005年9月5日】
・第21代WBA世界ライトフライ級王座(防衛1=返上)
【2006年8月2日-2007年1月18日】
・第4代WBAインターコンチネンタルフライ級王座(防衛0=返上)
・第36代WBC世界フライ級王座(防衛0=陥落)
【2009年11月29日-2010年3月27日】
・第42代WBA世界バンタム級王座(防衛8=返上)
【2010年12月26日-2013年12月6日】
【休養王者認定期間:2012年5月-2012年11月】