『月の沙漠』

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『月の沙漠』(大正12年)(1923年)
作詞 加藤まさを(1897.4.8~1977.11.1)
作曲 佐々木すぐる(1892.4.16~1966.1.13)

加藤まさを 本名は正男静岡県藤枝市出身。立教大学英文科中退
学業の傍ら川端画学校で洋画を学ぶ。大正時代の代表的な抒情画家の一人で、少女に圧倒的な人気を得た。ファンとの交流をよくし、髪型や衣服など、女学生風俗を熟知していた。さらに、バラの栽培、ヴァイオリン演奏、テニスなど、少女好みの趣味を持っていた。1923年大正12年)に、童謡「月の沙漠」を発表。詩画集に『カナリヤの墓』、『合歓の揺籃』、少女小説に『遠い薔薇』(1926年、短編集)、『消えゆく虹』(1929年、長編小説)、『二つの虹』などがある。1929年から1930年にかけて平凡社から出版された『令女文学全集』全15巻の巻11が加藤まさを集だった。

佐々木すぐる 本名(佐々木 英)童謡をはじめとする2000曲もの楽曲を作曲し、中でも「月の沙漠」「お山の杉の子」が有名である。
兵庫県加古郡高砂町(現・高砂市)出身。元は士族であり、父親が郡役所に勤務する家庭に育つ。幼い頃に近所の住人から笛を貸してもらったことで、音楽に興味を抱く。しかし、家庭が貧しかったことから学費のことを考え、音楽学校ではなく姫路師範学校へと進学。在学中は生活費を得るためにボイラー技士として働きながら勉学に励む。卒業後しばらく郷里の小学校で教鞭をとるが、後に東京音楽学校に進学し、甲種師範科を卒業。
東京音楽学校卒業後は、浜松師範学校で教員として働く傍ら「青い鳥」や「じゃんけんぽん」などの童謡を発表する。1922年(大正11年)に浜松師範学校を退職し、上京。作曲家に専念する。1923年には「月の沙漠」を作曲。1924年(大正13年)には、自分の作品を掲載した「青い鳥楽譜」を発刊し、昭和初期まで自費で出版する。また、青い鳥児童合唱団を主宰し、精力的に全国を回った。1932年昭和7年)には日本コロムビアの専属作曲家となる。1930年代には唱歌や「兵隊さんよありがとう」のような愛国歌を数多く発表し、当時の子供たちの間に広く知れ渡った。後に音楽の教科書の編纂を行い、日本作曲家協会理事を務めるなど、子供のための音楽や歌曲の普及に貢献した。(以上ウィキペディアより、一部修正)
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1960年版のLP『日本童謡名曲全集⑵』
(コロンビア)のジャケットの裏
定価1000円