『七科約説』
原著『A CONSPECTUS of the Medical Science』(1874年)
著者 ヘンリー・ハーツホーン(賢理・華都遮崙)
Henry Hartshorne(1823-1897)

翻訳出版人 長野県士族 太田用成
      愛知県平民 柴田邵平
      長野県平民 虎岩武
図式彫刻人 浜松印版師兼活版所 鞍智逸平(本名:鞍智高義)
                  名古屋本町2丁目 中島大助
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浜松市HPの説明
「浜松市指定文化財。
 浜松医学校の太田用成、虎岩武らがアメリカのペンシルバニア大学のヘンリー・ハルツホン博士の著書を翻訳して刊行した医学全書である。
 七科とは解剖・生理・化学・薬物・内科・外科・産科のことをいい、約説は膨大な著作を要約して述べたものという意味である。これは西洋医学の本格的な教科書として全国の医師や医師志望者に光明を与えた。
 『七科約説』には多数の木版画が挿入されているが、これは出版元の開明堂の鞍智逸平の彫刻でその精密さには驚かされる。この書物の印刷、図版、装丁等の技術も当時の最高峰を極め完全な形で保存されており、優れた内容とともに貴重な書である。 / 奥付情報:明治十二年第三月六日版権免許 明治十二年第四月出版 訂正七科約説上編  」

 津田梅子の津田塾大学(女子英学塾)の創設期に物心両面で協力したアナ・C・ハーツホンはヘンリー・ハーツホーンの娘で、同大学の校舎「ハーツホン・ホール」(佐藤功一設計、1932年竣工)にその名を残している。アナは新渡戸稲造の『武士道』(1899年)の執筆・出版にも協力している。
http://lib.tsuda.ac.jp/DigitalArchive/df2.htmlハーツホン・ホール
http://lib.tsuda.ac.jp/DigitalArchive/df1.htmlアナ・C・ハーツホン

ハーツホンの中国名「賢理・華都遮崙」は始めに中国にその著作が入り、中国名が付けられたようだ。
賢理=ヘンリー
華都遮崙=Hart(ホアドゥ=華都)+shorne(ショールン=遮崙)

おそらく香港、広州あたりの発音だろう。