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浜松医学校
(旧浜松町役場・浜松市役所)

浜松市中区紺屋町92
撮影日 1911年(明治44)6月30日
撮影者 不詳
所蔵 浜松市博物館(中区仲谷家寄贈)
出典 浜松市制百周年記念誌『ももとせ』

旧静岡県浜名郡浜松町の最後の日に撮られた記念写真。最後の町長になった鶴見信平(初代浜松市長・事務取扱)はじめ全職員30数名が写っている。

翌7月1日に市制を敷き、浜松市になったため、市役所として大正7年まで使われた。その後、市立図書館を新築したが、戦災で焼失した。戦後、電電公社(NTT)の診療所が新設されたが、現在はマンションが建っている。心造寺の北側。

この建物は元は明治7年に開校した浜松県立浜松病院付属浜松医学校の校舎として明治9年に新築されたものである。
 医学校では病院長兼校長の太田用成、一等教員の柴田邵平、三等教員の虎岩武らによってアメリカの医学書『CONSPECTUS of MEDICAL SCIENCE』が翻訳され、
医師試験を受験する医学生向きの概説書『七科約説』として浜松の印刷会社「開明堂」が明治11年~12年に印刷し、丸善などから販売された。発行部数は初版が上編1800部、下編1000部だったという。
 医学校は明治13年に廃校になったため、
県所有の土地と校舎は戸長役場として使われたのち、明治22年に発足した浜松町の役場となった。

この写真は旧浜松町・浜松市の技術系職員(技手)だった仲谷定吉氏方に保存されていたもので、近年仲谷家から市博物館に寄贈され、市制100周年記念誌に掲載された。

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市制施行1周年の明治45年7月1日の消印のある浜松市役所の絵はがき(出典不詳)

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現在の同じ場所(2015年)