浜松市城北・上池川の森
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手前ですでに天竜厚生会の老人ホームの建設が始まっており、
もうすぐこの位置からは見られなくなる。
公表されている計画によれば
北側に樹木を借景にした庭園や
地域との交流のための喫茶店など
が作られるようだ。
  
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池川家の楠(市の保存樹木20号)
 
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保存樹木・池川家の楠(昭和55年指定 20号)
幹周り 5.3m、 根回り 6.4m、
 高さ 12.3m、 枝葉の面積 95㎡(指定当時)
幹回り 5.6m、 根回り 9m
高さ 14m、 樹齢約350年(平成14年調査時)
 
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ヒノキ
 
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入口付近・左側は池川稲荷大明神跡の森 
 
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 モミジ
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池川邸の正門(邸内非公開)
 
 
 
浜松市城北・上池川の森
所在地 浜松市中区城北1丁目(東上池川町)
 
 戦災で市街地の大半が焼けた浜松市中心部には珍しく、奇跡的に焼け残った屋敷林だが、敷地は約3000坪と広大。地域の鎮守の森となっていて、邸内の巨木は市の保存樹木に指定されている。また竹藪や雑木の整備が地域住民らによって行われている。
 
 町の氏神となっている池川神社の石碑によれば、文化4年(1807)、小倉氏がこの地・上池川村に移り、開墾に従事、業績を上げたため、時の浜松城主から村の名前を氏とすることを許された。池川氏は当初より邸内に「池川稲荷大明神」を奉り、開拓の成功は大明神の守護のおかげとして、篤く奉ってきたという。
 
 昭和36年(1961)、地域住民から「池川稲荷大明神」を地域の氏神にしたいとの要請を受けた当時の当主・池川公彦氏が敷地を提供し、宗教法人「池川神社」が作られた。
 
 その先代の当主・池川乙彦氏はこの地で農園を経営し、主に花卉盆栽の発展に貢献した。同氏は明治34年(1901)生まれで、東京府立園芸学校を大正13年に卒業し、北海道大学植物園(北大植物園は、1886(明治19)年に設置され、札幌農学校、北海道大学の教育・研究の場として活動を続けるとともに、札幌市民の憩いの場、社会教育の場としての役割を果たしている。)に勤務した後、浜松市住吉町と上池川町で池川農園を経営した。
 
 戦後焦土と化した浜松市中心部の田町に、奉仕を兼ね、いち早く生花店「香蘭園」を開き、花や盆栽を並べて復興を急ぐ浜松の街並みに潤いを与えたという。
 
 同氏は浜松愛蘭会(蘭友会)の初代会長を務め、ランの栽培と普及に貢献した。昭和33年(1958)に設立された全日本蘭協会(戦前の帝国愛蘭会〔大正6年(1917年)設立〕の流れをくむ由緒ある団体)の創立委員にも名を連ねている。また、業界の信望厚く静岡県の各種調停委員の公職にもついたという。
 
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池川乙彦氏とランの花(池川家提供・撮影年不詳)
 
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昭和27年(1952)1月 アメリカ・フロリダ州サヴァンナ市で開催された
「世界蘭花展示会」に池川乙彦氏(50)作の
シプリぺジューム種10輪が日本代表として出品された。
池川氏は「世界を花の輪でつなぎ平和の一助ともなればよろこんで…」と語った。
新聞記事は毎日新聞遠州版1957.1.15
 
 
参考:『新浜松の事業と人物』浜松民報 1948年
   『遠江』26号 2003年
   『浜松市の保存樹林・樹木』 1981年
   『文化はぐくむまち 愛称標識』1997年
   『いろはの「イ」 城北地区わが町文化誌』1987年
 
 
    「雲を耕す会」HP 森林や古民家の保存・再生に取り組んでいるNPO法人のホームページ
   (「池川邸を守る会」の活動、竹林整備など) 
 
   「新浜松市の宝箱」HP
   「大場蘭園」HP
        「全日本蘭協会」HP 
 
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「池川稲荷大明神」跡
 
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池川神社