日本の領土・領海・排他的経済水域の図

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中華人民共和国1981年発行の『台湾省地図冊』
 
加筆した赤線は与那国・尖閣―台湾のほぼ中間線である。
与那国島のすぐ西側(約10km)に引かれたた国境線は
1971年以降に中国が一方的に移動した中間線だが、
なぜか日本側の起点は西表島に移され、
人口約1600人の
与那国島の存在は完全に無視されている。
 
台湾と与那国島の距離は約110km。
中間線は本来なら双方の海岸から
約55kmのところに引かれているべきである。
尖閣に気を取られているすきに
与那国の西の海(排他的経済水域)
すでに幅数十キロメートルにわたって侵略されていることになる。
 
 
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↑これが正しい国境線の位置
 
中国・地図出版社が1958年(上)と1960年(下)に出版した地図
与那国島と台湾のほぼ中間に国境線が引かれている。
尖閣と台湾の間には、国境線は引かれていないが
島の名前が尖閣群島、魚釣島と日本式に書かれているので、
当時は中国も日本の領土と認めていたことがわかる。
 
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 欲張りすぎ
 
1987年に中国が発行した『中国歴史地図集第8冊』
与那国島のすぐ先に国境線が引かれ、
尖閣諸島は福建省に属していることになっている
引用元:
 
 
台湾省地図冊
 
出版社 地図出版社(北京)
出版年 1981年
 
 この地図は文化大革命が終息して間もない1979年1月1日に発表された『台湾同胞に告げる書』をうけて発行されたもので、中国の領土、領海、国境線に対する考え方を反映している
 1958年の地図は外務省情報文化局が1972年5月に発行した小冊子『尖閣諸島について』から引用した中国の地図である。このころは外務省もそれなりに機能していたようだ。情報文化局は、現在の外務報道官及び広報文化交流部に相当する組織。外務省にこんな良い資料があるのなら、再発行とネット上での公開を望みたい。中国もパンフレットを発行し、世界中にばらまいている。
  1972年の国交樹立以来、尖閣問題は事実上「棚上げ」されたため「お蔵入り」させたらしいが、今となっては遠慮は無用。できれば一家に一冊配布し、中国および台湾からの入国者にも中国語版を配布してもらいたいものだ。
 
↓このHPにその内容が紹介されている。(魚拓?)
 
こちらブログにはPDF版が掲載されています。
 
こちらのブログにもたくさんの地図が紹介されています。
 
地図出版社は中国の国営出版社。
 
参考資料:
 「中国广东省民间某企业管理人员于24日在微博上称,“1949年开始到1971年China政府都承认钓鱼岛是日本领土”。其拿出1953年的党报《人民日报》的新闻、以及若干地图作为证据。
 发微博的为广东省的广东捷盈电子科技董事会副主席林凡。林凡为新浪加V认证人士,拥有10万关注者。
 据林凡所提供的资料,人民日报在1953年1月8日的新闻称“琉球群岛(冲绳)散布在我国台湾东北和日本九州岛西南之间的海面上,
包括尖阁诸岛、先岛诸岛和冲绳群岛等7组岛屿”。从中国当局所编订的53年、58年、60年、67年版本的地图来看,大多数都是标记为“尖阁群岛”、“鱼钓岛”。对中日界线的标记也明显为日本所有
 林凡冷静地将证据收集起来在网上公布,并提出“China政府,钓鱼岛还是我们的领土吗”的质问。中国国内的反应多是,“从资料来看钓鱼岛确实为日本领土”“这让参加反日游行的人很为难”,很多人支持林凡的言论。」
ブログ『幕末散歩』より (赤字は引用者)
中国側の反論
   最近の国際シンポジウムでは、ある日本側発言者が釣魚島について、中国で1958年に出版された「世界地図集」で「尖閣諸島」が日本の版図内に記されていることは、日本のものであることを認めたに等しいと述べた。これに対して私は「この地図帳の扉ページには『中国の一部国境線は抗日戦争前の『申報』地図に基づき作成した』と明記してある。したがって、これを新中国の立場を代表するものとはできない。1956年に中華人民共和国地図に基づき作成された『世界分国図』の日本の版図には、いわゆる『尖閣諸島』はない」と指摘した。こうして、この問題でもめる人は誰もいなくなった。
(2012.9.6 人民網日本語版より)
 
 抗日戦争前の『申報』地図とは何か?
抗日戦争前ということは中華民国時代に発行した地図ということか?
中華人民共和国は中華民国の諸権利を継承したはずであるから、当然尖閣諸島に関する権利もないはず。
1956年の『世界分国図』が正しいとするなら、なぜ1958年や1960年の地図に反映させなかったのか?
 
wikiペディアによれば『申報』は1934年以降は国民党の事実上の広報新聞だった。
 
この部分についての日本外務省のHP上の説明は次のようになっている。

【参考:『世界地図集』(1958年)】

 1958年に中国の地図出版社が出版した地図集。尖閣諸島を「尖閣群島」と明記し,沖縄の一部として取り扱っている。中国側は,同地図集には,「中国との国境線の部分は,抗日戦争前(すなわち台湾が日本植民地だった時代)の地図を基にしている」との注記があり,1958年発行の地図における記載のみをもって当時の中国政府が日本の尖閣諸島への支配を認めていたという根拠にはなり得ないと主張。しかしながら,中国側が指摘する注記は,原文では「本地図集の中国部分の国境線は解放前の申報(注:当時の中国の新聞)の地図を基に作成した(中文:本図集中国部分的国界線根据解放前申報地図絵制)。」とのみ記述。具体的にどの部分が解放前のものかは不明。そもそも,同地図では,台湾を「中華人民共和国」の領土として記載しており,台湾の付属島嶼であると主張する尖閣諸島に関する記述だけを台湾が日本の植民地であった時代の表記で残すことは不自然。
中国語版PDFもあるが抄訳で地図がないのでわかりにくい。
 
 中国がいまのところ出している証拠なるものは、中国人が島に住んで利用したとか、何か施設をつくったとかいうものではなく、琉球からの朝貢使節の船に便乗して琉球へ行った役人が書き記した日誌に、目印とした島の名前がかかれているという程度のものである。
  また光緒19年(1893年)に、釣魚島付近の海で採れた薬草?から作ったという丸薬を献上した役人に西太后が褒美として「釣魚島」を授けたという記録を持ち出し「鉄の証拠」としている。もっともらしいが中国らしく偽物(捏造)という指摘があるhttp://hassin.org/01/opinion/1341。その結果、島をどのように有効に管理し、利用したのか一切不明である。
   確たる証拠もなく「大昔から中国のもの」という言い方をするのは、内に向かっては自らの大国意識を満足させるためのものであり、外に向かっては領土覇権主義以外の何ものでもない。
 要するに、石油がありそうだとわかった1970年頃以前、中国が尖閣諸島などの無人島を単なる航行の目印程度としか認識していなかったことは明白であり、それゆえ何ら利用もせず、対外的にも主張してこなかったのである。
 中国の真の狙いは台湾攻略および沖縄トラフまでの大陸棚(ほぼ東シナ海全体)の独占であり、尖閣諸島はそのための橋頭堡に過ぎない。仮に中国が尖閣諸島を手に入れれば、台湾への威圧になり、台湾奪回にきわめて有利となる。
 もう一方の当事者である台湾の中華民国側からすれば、尖閣諸島の持つ意味は、漁業権が主であり、軍事的な意味はあまりない。尖閣諸島は大陸反攻の足掛かりにはならないので、大陸からの圧力を避け、台湾の独立性を確保するには現状維持が最上の選択だろう。
 
 中国が初めて発行した尖閣諸島海域の地図
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中国が9月20日発行したという尖閣諸島海域の地図の一部
加筆した円内に
一方的に移動させた国境線が引かれているのが分かる
写真は『中国新聞網』、一部加筆

やっと日本政府外務省が反撃を始めたらしいので見てみよう
 2015.3.16


C国政府の言い分

日本外務省HPの尖閣地図 中国反発「1枚や2枚では事実は覆せない」 

2015年3月17日 21時19分

産経新聞

 中国外務省の洪磊報道官は17日の定例記者会見で、外務省がホームページで公表した
尖閣諸島(沖縄県石垣市)を日本領土と表記した中国政府発行の地図について
「歴史の事実は、1枚や2枚の地図を見つけ出したからといって覆せない」などと反発した。

 洪報道官は地図を見ていないとした上で、尖閣諸島について
「中国に所属することは否定できない事実であり、十分な歴史と法の根拠がある」と主張。
「もし必要ならば、明らかに中国に所属すると示す100枚、1000枚の地図を探し出せる」と述べた。(北京 川越一)
必要ならば、探し出せる?
ないんですね!!!

ソース
産経新聞
http://www.sankei.com/world/news/150317/wor1503170056-n1.html