静岡県磐田市見付3884-10
竣工 1889年頃
設計 不詳
竣工 1889年頃
設計 不詳
旧赤松家は明治時代に磐田原台地に茶園を開拓した赤松則良(1841~1920)が明治20年代から30年代に建築した邸宅跡で、県指定文化財の門、門番所、市指定文化財の米倉などが残り、磐田市旧赤松家記念館として利用されている。開館時間は9時~4時半(無料)月曜、年末年始等休み。
赤松則良は江戸に生まれ、19歳で遣米使節団に随行し、21歳の時幕派遣の留学生としてオランダに留学し、造船技術などを学んだ。1868年27歳の時、大政奉還を知り、留学を中止し帰国、磐田に移住し、茶園開拓に着手する。29歳の時、新政府の命により、兵部省に出仕、海軍兵学校大教授、横須賀造船所所長、海軍中将などを歴任し、46歳の時勲功により男爵の爵位を授与された。退役後、貴族院議員、日本造船協会初代会長などを務めた。
赤松則良は江戸に生まれ、19歳で遣米使節団に随行し、21歳の時幕派遣の留学生としてオランダに留学し、造船技術などを学んだ。1868年27歳の時、大政奉還を知り、留学を中止し帰国、磐田に移住し、茶園開拓に着手する。29歳の時、新政府の命により、兵部省に出仕、海軍兵学校大教授、横須賀造船所所長、海軍中将などを歴任し、46歳の時勲功により男爵の爵位を授与された。退役後、貴族院議員、日本造船協会初代会長などを務めた。