以前の3月26日のブログにて「教会の公式見解はあるのでしょうか?」
http://ameblo.jp/yosia621/entry-11202735457.html
・・・・・「ちゃぬ」女史のブログから・・・・<文亨進会長発言>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(2010年10月18日)先週の天福宮での会議に30人ぐらいの指導者が集まったその場で、文亨進会長が突然六マリアの話を発言。過去の聖人もマホメットには11人の女がいたしそういう聖人の女性の話はあるが、何故、人類のメシアで全ての女性を主管できるお父様にそういう問題があるからといって問題になるのか。私達は勇気を持って隠すのではなくきちんと話さないといけない。今後、六マリアの講義案を作っていく。我々は堂々としなければならない。
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■いままで隠していたのでしょうか?
■講義案は作成中なのでしょうか?
■文師の確認をとり承認はいただいたのでしょうか?
と質問させていただきました・・・・昨今のgildong氏のUPしたブログの中に回答がありました。講義案は作成されていました。
引用します。
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「神様の夫人グループの実態」
http://ameblo.jp/gildong/entry-11306972119.html#main
その答えは2011年4月になって解けた。宣教本部の指示で米国統一教会祝福家庭と公職者を対象として教育が実施された。その教育の講師は呉澤龍鮮文大学当時専任講師だった。教育教材の題目は「真のご父母様の生涯路程と新しい創造史」(以下、神様の夫人摂理史) だった。この講義と教材の中に六マリアの摂理的意義とTMが六マリアの摂理的使命を全て受け継いで完遂したという説明があった。続いてTMが真のお父様の相対者として娘の位置から神様の夫人の位置までどのように上って来たのかを詳細に説明している。
文亨進統一教 (Unificationism)会長が六マリアをこれ以上隠さずに堂々と説明して教育しなければならないと言った真意は2011年4月米国祝福家庭と公職者を対象とした「神様の夫人摂理史」教育を契機としてひとつずつベールを脱ぎ始めた。
2011年12月東京で開かれた統一思想セミナーに参加したKJC超宗教大学院総長は「2011年8月に天福宮で文亨進会長、KJC総長、GER教授、呉澤龍等が参席した会議があった。その場で文亨進会長はTMを摂理の中心に立てるという、呉澤龍が創作したいわゆる『神様の夫人摂理史』を全世界の祝福家庭へ教育することを指示した」と話した。この会議でKJC総長等は「新しい真のご父母様の生涯路程と摂理史の理論に問題の余地があるので保留にしようと話したが、 文亨進会長はお母様の決済があったと言いながら全世界の祝福家庭へ教育しろという指示を曲げなかった」と明らかにした。
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シリーズ化されています。是非読んでみて下さい。
背景が解らないと理解しずらい内容ではありますが、通常の原理観や摂理観に照らしても「?」だらけの理論展開です。明かに一つの目的を持った、結論ありきの「呉澤龍氏」個人的考察からの創造(想像)作品であると解ります。
疑問を投げかけ、反対する公職者の方もいらっしゃったようですが、「葵の御紋」を出し、一喝して、誤った摂理史観が正しいとして公の場で講義されてしまう、異常な教会組織になってしまっているという事の実証になってしまっています。
問題はこのような摂理史観が出てくる背景と動機は何なのか?ということです。現教会組織に依存している方々は現実を直視して考えてみてはいかがでしょう。
明かにおかしな『神様の夫人摂理史』なるものを公の場で講義せざるを得ない事情とはなにか、真理でないものを真理としなければいけない事情というものを考えてみてはどうでしょう。
「本物」は「嘘」をつく必要はなく、おかしな理論展開の摂理史を背景を支えに立つ必要もないと思いませんか?本物ならこのようにコジツケ摂理史観を立てなくても「事実」と「真実」によって万人が認めてくれるというふうには思いませんか?
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それで、どちらが真でどちらが偽りなのかは何で分別できるでしょうか?」
「この時には神様も真と偽りを教えて下さいません。」
「神様が、あるものを真だと教えて下さった後には、その反対に偽りだと教えなければなりません。」
したがって人間自ら分別しなければならず、人間自ら決めなければならないし、人間自ら探して出さなければなりません。」 <世界経典564>