私たちは、私の両親と同居して子育てをした。共働きだったので、両親の存在はとても大きかったし、妻もそれを望んでくれた。

息子たちが小学生の時、家庭訪問で担任の先生が「おじいちゃんおばあちゃんと同居しているお子さんは、基本的にとてもやさしくて協調性があります」と話されたことを覚えている。

確かに、息子たちが高校生の反抗期の頃、邪魔くさがってご飯を食べない時期があった。

そんな時、「おばあちゃんが作ってくれたご飯を粗末にするのか?」と言うと、途端に食べたりしていた。人に「好きな食べ物は?」と聞かれた時に「おばあちゃんのサバの煮込み」と答えたりして驚いたことがあった。

私たちには反抗するけど、じいちゃんたちには一切反抗しなかった(笑)

 

いま、私たちも息子家族と同居している。

息子もお嫁ちゃんもそれを望んでのこと。

何かについて話すとき、大人4人がそれぞれの思いを語るのを孫たちが聞いている。

そう、これが大事。

親たちの考え方、じじばばの考え方、いろいろな考え方や思いを聞くこと、同調したり反発したり・・その過程を聞くことが子どもたちにとってとても大切なことになる。

ただ、親たちがダメと言うことは私たちもダメと言うようにしている。

子どもたちが良いことをした時は、それぞれの言葉で褒め倒す。

 

シングルで子育てをしている場合、一人の親の考え方や思いにしか子どもは触れることができない。

それが間違ってなければよいが・・・

と言うか、いろいろな考え方に触れることなく子どもは育っていく。

せめて両親がいれば、最低でも二人の考え方に触れられる。

また、母性と父性は全く別の物だと思っている。

祖父母性はもっと違う。

多世代家族の中で育ては、そりゃ協調性が養われるわけだ。

 

今年の初めまでは、私の母親・・孫たちのひいばぁちゃんも同居していた。

認知症と脳梗塞でほぼ寝たきりだったひいばぁちゃんのおむつを交換する私たちの姿を孫たちは毎日見ていた。

一緒にご飯を食べているときにひいばぁちゃんがむせたりすると、ご飯粒のクラスター爆弾から身を伏せるとともに、ティッシュを取ってひいばぁちゃんに差し出したりしていた(笑)

そして、ひいばぁちゃんが亡くなった時は、孫たちは「人が亡くなる」と言うことを肌で感じた。

この経験は、孫たちにとってかけがえのないものになると思う。

小学2年の上の子は、お経を覚えていて時々仏壇の前でお経を唱えている。

ひいじいちゃんは、孫たちが生まれる前に亡くなっているので写真でしかしらない・・・

でも、ひいばぁちゃんの存在で、かつてのひいじいちゃんの存在を理解しているようで、時々二人の写真を眺めていたりする。

 

昔は、多世代家族が当たり前だった。昭和の頃(私の親世代の頃)にねじ曲がった自由主義から結婚相手に「家付き、カー付き、ばばあ抜き」を求めるようになった。

結果、その世代の人たちの多くは、同じように別居され、挙句の果てに田舎に放置されている。

自分たちがしてきたことを観て育った子どもに、同じようにされているのだ。

おそらく、その子どもたちも自分の子どもたちに同じようにされるのだ。

 

多世代家族の中で育った子どもたちは「共に生きて行く」と言う価値観を持っている。

共に生きるには、協調性とやさしさは不可欠なのだ。

 

たまたまなんだろうが、うちの近所には多世代家族が多く子どもも多い。

そんな中に、シングル家庭の子どももいる。

子どもたちが、遊んでいるのを見ていることが多いのだが、やはりシングル家庭の子どもは、協調性が無いと感じることが多い。自分本位の発言で他の子たちから総すかんを食らっていることが多かったり、身勝手な発言でトラブルを起こすことが多い。

そういう時、その場を上手くまとめるのは多世代家庭の子どもたちなのだ。

そんな家庭の子どもたちは、私たちにすぐなつき壁を作らない。

本当にかわいいのである。

 

核家族の家庭の子どもが、うちの孫にこんなことを言っていたことがある。

「○○ちゃんのママとおばあちゃんは仲いいの? 」

「うん、いいよ・・何で?」

「ママとばぁぱは、いつも喧嘩してるから・・・仲良くすればいいのに・・」

聞いてて何だか悲しくなった。

親たちの都合なんだなぁって・・・