毎年、楽しませてくれる

巨大田んぼアート


今年描かれた主役は


「徳川家康」




浜松市南区寺脇町に

巨大田んぼアートが出現


立派な見学用のパイプ

やぐら

設置されてるよ





地元住民有志でつくる

「白脇田んぼアートの会」

JAとぴあ職員の協力


種類の違う緑もち米や

赤米、紫黒米等の稲を

時期をずらして

田植えをし描きあげ徐々に

デザインが浮かび上がり

8月終わり頃から9月末まで

見られます



何歳の家康...?

三つ葉葵の紋


下で見るとこんな感じ

何だかわかりませんね




徳川家康が17年間

29歳~45歳まで在城した

浜松城は

江戸幕府300年の原点と

なった出世城


若き日の家康の史跡や資料

など数多く残る

ゆかりの地を巡る

観光客が多く訪れています



家康の生涯で最大の負け戦


三方ヶ原の合戦は元亀3年(1572)武田信玄と

徳川・織田連合軍が

浜松市郊外の

三方ヶ原台地で激突した

戦い

武田軍3万人に対して

家康軍はわずか1万人足らず

勝ち目がないと

家康は家臣に化けて

命からがら浜松城に

逃げ帰り

敗戦直後の意気消沈した


自分の顔の絵を描かせ

生涯この絵を大切にし

敗北を自戒したと伝えられ

ています(いろいろな諸説あり)


浜松博物館に常設
肖像画を元にした等身大
「しかみ像」
情けない顔してますね



合戦の夜、家康はなんとか

一矢を報いようと

三方ヶ原台地の南端にある

犀ヶ崖で夜営していた

武田軍を奇襲

崖に白い布を架けて

橋と見せかけ

地理に疎い武田軍は

次々と崖下に転落したと

伝えられ

いまも「布橋」という

地名が残っています



現在も犀ヶ崖の一部分を

見ることが出来ますが

当時は今よりもっと深い

崖だったのでしょうね


崖の下から

人や馬の呻き声....😱

夜は怖いから行きません

心霊スポットです(ノдヽ)





犀ヶ崖では毎年7月15日に

(さいががけ)

三方ヶ原合戦の死者を

供養するため


「遠州大念仏」



ずいぶん前になりますが

叔母の新盆に

大念仏を依頼し庭先で念仏

うたまくら唱和し

太鼓を打ち鳴らし踊って

供養を行いました


依頼を受けると

家の手前から提灯を先頭に

大念仏、笛、太鼓、鉦の

音を響かせ

30人ほどが音に合わせ行進

してやって来ます



郷土芸能が奉納され

市の無形文化財に指定

されています


次世代に継承してほしい

のですが

踊りを覚えたり若い人の

担い手不足と

新盆家族からの依頼の

減少など

活動を休止する保存会も

増えています