戦後日本の闇を動かした「在日人脈」 森功+城内康伸+野村旗守+李策 ほか | 読書は心の栄養

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主に自分の最近読んだ本の忘備録



様々な人が様々なテーマで雑多に書いているのでうまくまとまっているとはいえないが、
なかなか面白い。

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力道山が暴力団員とのいざこざが元で死んだのは63年12月のことだ。
当時のKCIAの部長だった金炯旭(キムヒョンウク)は、回顧録「『権力』と『陰謀』」の中で、次のように書いている。
<鄭建永(チョンゴニョン)の「東声会」は日本の関西地方を牛耳っていた児玉に近い暴力団「山口組」と協力して、在日僑胞のプロレスラー力道山の刺殺に見られるように、暴力の異性を思うがままに振るっていた。>
鄭建永とは、「銀座の虎」の異名で知られた町井久之のこと。
児玉とは言うまでもなく、右翼の大物・児玉誉士夫である。

KCIA退任後、時の朴正煕政権と激しく対立した金炯旭は79年10月、パリで韓国の刺客に殺された。
彼は力道山の死について、先に引用した記述以上の証言は残しておらず、いったいどれだけの根拠を持って「刺殺」と断定したのかは、今となっては藪の中だ。

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大山(大山倍達:空手の極真会館の創始者)が韓国民団の前身となる
「在日朝鮮建国促進青年同盟」(建青)の結成メンバーであったこと
は、かなり前から一部で知られていた。
45年11月に結成された建青は当時、対立する「在日本朝鮮人連盟」(朝連、後の朝鮮総連)とすさまじい暴力抗争を繰り広げていた。
帝国主義への反発から左翼が優勢だった世相を背景に、反共を掲げた建青は北朝鮮を支持する朝連に対して数の面で劣勢を強いられる。
そんななかでも朝連の攻勢を食い止めることが出来たのは、大山の実践から手があったからだこそだとも言われる。
ーー中略ーー
ちなみに、大山が63年10月に極真会館総本部の建設に着手した際には、曺寧柱(チョニョンジュ)や山口組柳川組の柳川次郎ら在日韓国人の他に、右翼の大物・田中清玄や、まもなく首相となる佐藤栄作も協力している。
大山は一時、佐藤のボディガードを務めており、佐藤は極真会館の初代会長に就任している。

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済州島四・三事件

1948年4月3日、韓国の済州島で、南だけの単独政府樹立に反対する島民らがパルチザンを組織して、武装蜂起した。
韓国軍による凄惨な弾圧が行われる過程で、多くの人々が密航により日本へ脱出。
在日社会に少なくない影響を与えた。

ーー中略ーー
虐殺を逃れるため、少なくない島民が日本へ密入国。
その相当部分が、そのまま大阪などに定住して在日社会に溶け込んだ。
ーー中略ーー
こうした凄惨な体験を持つ済州島出身者は、日本に密入国後、日本共産党の指導下で吹田事件などにも参加。
在日本朝鮮人連盟(朝連)や、その後身となる在日朝鮮統一民主戦線(民戦)、
在日本朝鮮人総連合会(総連)の運動で中核を担うようになった。


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現在、在日がトップを占めるヤクザ組織は、全国の主要暴力団21団体のうち6団体に上る。
構成員数で見ると、計2万7750人のヤクザのうち、およそ19.5%が在日のトップに従う構図だ。
日本の総人口に占める在日比率(1%未満)を考えると、この世界における在日の”出世ぶり”がうかがえる。

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かつて貸金業界では、在日系の企業が覇を競い合っていた。
たとえば個人相手の消費者金融ではアイフル創業者の福田吉孝が、
事業者金融ではSFCG(旧商工ファンド)創業者の大島健伸が有名だ。

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週刊文春が89年8月17・24日合併号から10回にわたり連載した記事を端緒とする、
「パチンコ疑惑」問題である。
記事の内容は、同年7月の参院選で「マドンナ旋風」を巻き起こし、与党・自民党を大敗させた土井たか子委員長をはじめ、多数の社会党議員にパチンコ業界から不正なカネが流れていたとするもので、社会的に大きな反響を呼んだ。

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2002年に(和田アキ子の)叔父の和田忠浩が商法違反で逮捕され、それとの関連で出自が取り沙汰されたこととも無関係ではなかろう。
ちなみに忠浩は、漫画「ミナミの帝王」のモデルともなった、強面の金融業者として有名である。