民衆のアメリカ史 ハワード・ジン | 読書は心の栄養

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主に自分の最近読んだ本の忘備録

民衆のアメリカ史〈上〉1492‐1865/ティビーエスブリタニカ
¥2,854
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学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史の作者の本
学校では・・・・よりずっと詳しい本
当時は、「これがアメリカの本当の歴史かー」などと単純に思ってしまいましたが、
この人の本は、人権という観点から見たアメリカ人によるアメリカ史であり、
わたしとは見解が異なるところも多い。

それでも、面白い本です。
上巻が南北戦争まで
中巻が第二次世界大戦直前まで

コロンブスがアメリカ大陸を発見した頃、
スペインは統一されたばかりで、フランスやイギリスやポルトガルのように
新しい近代国民国家の一つになっていた。
その住民の大半は貧農であり、人工の2%しか占めていないのに
土地の95%を所有している帰属のために働いていた。
スペインは、カトリック教会と固く結んで、全てのユダヤ人を追放し、ムーア人を追い出した。

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ハンス・コニング「コロンブスーその冒険」より
Columbus His Enterprise
要するに、盗んでスペインに贈られた金と銀は、スペイン国民をより豊かにはしなかった。
それは、スペイン国王たちに一時、勢力均衡条の優位、
つまり戦争のためにより多くの外国人傭兵を雇う機会を与えた。
国王たちは、戦争には負けなくなったが、
残されたのは、ひどいインフレと飢える住民、ますます富裕になった金持ち、
ますます貧しくなった貧乏人、そして破滅した貧農階級、これがすべてだった。

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エドマンド・モーガン「アメリカの奴隷制とアメリカの自由」 より
American Slavery, American Freedom

もし、あなたが植民者だったとしたら、自分のほうが技術の上でインディアンに勝っており、
自分は文明人で、彼らは野蛮人であることがわかっただろう。・・・ところが、
あなたの優れた技術は何ものも引き出し得ないことを証明してしまった。
一方、インディアンたちは、自分たちだけで生活しており、
あなたのすぐれた技術を嘲笑いながら、あなたよりも働かず、
より豊かな実りを大地からえて暮らしていた。
・・・やがて、あなたの仲間が彼らと一緒に暮らすために植民地を捨て始めると、
あなたは我慢がならなくなった。
・・・そこであなたは、インディアンを殺し、苦しめ、彼らの村を焼いたり、
トウモロコシ畑を焼き払ったりした。
それがあなたの優位を証明したというわけだ。
本当は敗北者なのに。
そしてあなたは、野蛮人の生活様式に屈した仲間に対して、
だれかれなく同様な仕打ちを加えた。
しかし、あなたは相変わらず十分なトウモロコシを栽培しなかった。

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1700年までに、ヴァジニアには6000人の奴隷がおり、全人口の12分の1を占めていた。
ところが、1763年には、奴隷は7万人となり、人口のほぼ半分を占めるに至った。


黒人は、白人やインディアンと比べれば、奴隷化しやすかった。
しかしながら、彼らを奴隷化するのが容易だったわけではない。
輸入されてきた黒人男女は、最初から奴隷とされることに抵抗した。
最終的には、彼らの抵抗は鎮圧され、南部には300万人にのぼる黒人
を使うために奴隷制度が確立された。
それでもなお、もっとも困難な状況のもとで、
しかも手足の切断の刑や死刑に処せられるという条件のもとで、
これらのアフロ・アメリカ人たちは2000年間に及ぶ
北アメリカにおける奴隷化の歴史を通じて反逆し続けた。

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アメリカでも他のどこでも、財産が共有され、
伯父や伯母や祖父母たちがみな同居していて家族が大規模で複雑だった初期の社会では、
のちに「文明」と私有財産制をもたらしてこの社会を侵略した白人社会よりも、
女性はもっと対等なものとして取り扱われたようだ。
ーー中略ーー
スー族の成人式は、スー族の乙女に誇りを植え付けるような儀式だった。

我が娘よ、よい道を歩め、そうすれば、はるか大平原を覆って動く雲の影のように
幅の広い黒いバッファローの群れがおまえのあとについてくるだろう。
・・・我が娘よ、本分を守り、高潔であれ。
やさしく、慎み深くあれ。
そして、誇りを持って歩め。
もし、女性の誇りや美徳を失うなら、春が来てもバッファローの踏み分け道は、
草でおおわれた道に変わってしまうだろう。
暖かく力強い大地の心をいだいて強くあれ。
女性たちが強く誇り高くある限り、人々は決してくじけたりはしないものだ。

女性が男性と対等の扱いを受けていたと言ったらいいすぎだろう。
しかし女性は尊敬の念を持って取り扱われていたし、
社会の共同体的正室から女性にはより重要な地位が与えられていた。

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黒人女性ソージャーナ・トゥルース

あそこにいらっしゃる男性方は、女性は、馬車に乗るのに手を貸してもらったり、
溝を超えるのに抱き上げてもらったりする必要が有るなんておっしゃってます。
・・・私を馬車に乗せてくれたり、ぬかるみをこえるのに抱きあげてくれたり、
一番いい場所を譲ってくれたりした人なんて一人もいませんよ。
私は、女性じゃないんでしょうかね。
この腕を見てご覧なさい。
私は、鋤で耕し、種を撒き、収穫物を納屋へ納めて来ましたがね、
私にかなう男なんて一人もいやしませんでしたよ。
私は女性じゃないんでしょうかね。
私は男と同じくらい働き、食べるものがあれば男と同じくらい食べてましたよ。
男と同様にムチ打ちにも耐えましたよ。
私は、女性じゃないんでしょうかね。
私は子供を13人産んだけど、みんな奴隷として売り飛ばされたのをこの目で見てきたんですよ。
私のおっかさんの深い悲しみが悲しくて泣き叫んだ時、イエス様以外は、
誰も私の鳴き声に耳を傾けてくれやしませんでしたよ。
私は女性じゃないんでしょうかね。

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合衆国政府が奴隷制を支持したのは、きわめて実用的な配慮からだった。
1790年には、南部の綿花の生産量は年間1000トンだった。
1860年までには、それが100万トンに達した。
同じ期間に、50万人の奴隷が400万人に増加した。
ーー中略ーー
このように堅固に守られた制度を終わらせるには、全面的な奴隷反乱か
全面的な戦争かのどちらかが必要だったろう。

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南北戦争のころ
労働者たちは、業者から軍に欠陥銃が納入され、砂糖と偽って砂、
コーヒーと称してライ麦が売られ、また、売れ残りのくずが衣服や毛布に化けたり、
前線の兵士用に紙底の靴が製造されたり、腐った材木で軍艦が製造されたりしていることも、
雨に濡れると分解するような軍服のあることも、みな知っていた。

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機械は農業の様相も変えた。
南北戦争以前には、一エーカーの小麦を作るのに61時間を要したが、
1900年には3時間19分でよくなった。
製氷技術の開発は食品の長距離輸送を可能にしたし、精肉加工業が誕生した。


蒸気は紡績工場の紡鐘を回転させ、ミシンを動かしたが、そのエネルギーは石炭からきていた。
圧搾空気ドリルは石炭を求めて地中深く穴を掘ることができるようになった。
1860年の1400万トンという石炭産出量が1884年には一億トンになった。
石炭が増えることは鋼鉄の増加につながる。
というのは、石炭の炉が鉄を鋼に変えるからである。
1880年には鋼鉄100万トンが、1910年には2500万トンが生産されるようになっていた。
そのころには電気が蒸気に代わって登場し始めていた。
電線には銅を必要とするが、銅は1880年に3万トン、
1910年には50万トンが生産されるに至った。

これら全てが達成されるには、新しい技術や新しい機械の発明者、
新しい会社の有能な創立者と管理職者、土地と鉱物資源に恵まれた国土、
大変に骨の折れる不健康で危険な労働をこなす人間の大量な供給、
といったものが必要だった。
ヨーロッパと中国からやって来る移民が新しい労働力となった。
新式の農業機械を購入したり新しい鉄道料金を支払う余裕のない農民は、
都市へ流れていった。
1860年から1914年の間に、ニューヨークの人口は85万から400万に、
シカゴは11万から200万に、フィラデルフィアは65万から150万へと増加した。

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1890年のウーンディッドニーの虐殺の年、国内のフロンティアが無くなったという発表が、
国勢調査局によって公式になされた。
本質的に拡張という性格を備えた利潤追求の経済体制は、
すでに国外へ向けて関心を示し始めていた。
1893年に始まる苛烈な経済不況は、
アメリカ政財界のエリートの間に育ちつつあったある考え方、すなわち、
アメリカ商品のための海外市場こそ国内の過小消費という問題を解決し、
1890年代に階級戦争を引き起こしたような経済危機を将来防いでくれるのではないか
という期待をますます強めたのであった。
ーー中略ーー
海外膨張はべつに新しい発想ではなかった。
メキシコ戦争がアメリカ合衆国の領土を太平洋沿岸にまで拡大させるもっと以前から、
モンロー宣言はカリブ海とそのかなたに視線を注いでいたのであった。
モンロー主義は、ラテンアメリカ諸国がスペインの支配から独立を勝ち取りつつあった
1823年に発表され、アメリカがラテンアメリカをその勢力圏内と考えているとうことを
ヨーロッパ諸国に対し明確にしたものだった。

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第一次世界大戦の性格をみごとに看破した論文が、1915年5月の
「アトランティック・マンスリー」誌に掲載された。
W・E・B・デュボイスの「戦争原因としてのアフリカ」(The African Roots of War
と題する論文がそれである。
そこでは、この戦争は帝国のための戦争であって、
アフリカをめぐるドイツと連合国との抗争は、
現実であると同時に象徴としての意味を持つ、とされる。
すなわち、「・・・きわめて現実的に見て、我々が現にその場に立ち会っている、
文明のこの恐るべき転覆の主原因はアフリカにある」。
デュボイスはいう。
南アフリカの金とダイヤモンド、アンゴラとナイジェリアのココア、コンゴのゴムと象牙、
西海岸のヤシ油などにより、アフリカは「20世紀的な土地」なのである、と。
ーー中略ーー
アメリカにおいては、偉大な「民主主義」の発展が、
「有色人種に対する貴族的支配、ならびに憎悪の強化」と同時進行している、と。
彼はその論拠として次の事実をあげる。
「白人労働者たちはこれまで、”シナ人と黒ん坊(ニガー)”から絞りとった
獲物の分け前を受け取るように奨励されてきた」と。
たしかに、イギリス、フランス、ドイツ、アメリカでは、一般市民の生活水準は向上していた。
だが、「この新しい富はどこから来るのだろう。
・・・それはおもに世界中の有色人種の国々から持って来られるのである
アジアやアフリカ、中南米や西インド諸島、それに南太平洋の島々から」
ーー中略ーー
「世界を収奪しているのは、もはやたんなる豪商や巨大な独占企業などではなく、
雇用者階級ですらない。
それは国家、しかも資本家と労働者とが協力して編成する新しい型の民主主義国家なのである」

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合衆国は中国における門戸開放政策を宣言していたが、それは、
合衆国が中国を搾取する上で、他の帝国主義列強と同等の機会が得られるようにする手段であった。
合衆国は、中国における欧米の優越性を維持するために、
他の諸国と共に北京に軍隊を派遣し、30年以上にわたって駐屯させていた。
合衆国は、中国では門戸開放を要求しながら、ラテンアメリカでは
(モンロー宣言や多くの軍事干渉によって)門戸閉鎖、つまり、
合衆国以外のどの国をも締め出すようにと主張していた。

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トルーマンはこう語っていた。
「世界は、最初の原子爆弾が軍事基地である広島に投下されたことを
記録に留めるであろう。
それは、われわれがこの最初の攻撃で、可能な限り、
民間人の殺戮を避けたいと願ったためであった」
これはばかげた声明であr。
広島で殺されたあの10万人の人々はほとんどすべて民間人だった。
合衆国戦略爆撃調査団は、その公式報告の中で、
「広島と長崎が目標として選ばれたのは、そこに各種の事業と人口が集中していたからであった」
と述べた。。


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ホーチミンからトルーマンと国際連合の両方に贈られた手紙

「まったく人道的な理由から、以下の事柄に対して貴下の注意を喚起したく存じます。
200万人ものベトナム人が、1944年冬から1945年春にかけて
フランスの飢餓政策のために餓死しました。

フランスは入手可能な全ての米を押収し、腐らせるまで貯蔵しました。
・・・1945年夏には耕地の4分の3が水につかり、続いて、
ひどい干ばつに見舞われたため、通常の収穫の六分の五が失われました。
・・・多くの人々が飢餓状態にあります。
・・・もし世界の諸大国や国際的な救済機関が緊急援助を行なってくれなければ、
われわれは差し迫った破局に直面するでしょう。」

トルーマンはまったく返答しなかった。
1946年10月、フランス軍はベトナム北部の海港ハイフォンを爆撃し、
こうしてベトミンの運動とフランス軍との間で、
ベトナムの支配をめぐる八年におよぶ戦争が始まった。
1949年に中国で共産主義者が勝利し、翌年朝鮮戦争が勃発すると、
合衆国は巨額の軍事援助をフランス軍に供与し始めた。
1954年までに合衆国は、インドシナの全フランス軍を装備するに十分な、
30万丁もの小火器や機関銃と、さらに、10億ドルとを供与した。
これらを総計すると、合衆国はフランスの戦費の80%を提供したのだった。

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1963年はじめに、ケネディ政権の国務次官を務めたU・アレクシス・ジョンソンは、
デトロイトの経済クラブで次のように演説した。

東南アジアが何世紀にもわたって、あらゆる方向から近づいてくる諸大国を
惹きつけてきた魅力とは、なんであろうか。
なぜ東南アジアは求められるのか。
またなぜそれは重要なのであろうか。
第一に、東南アジアが湿気の多い気候と肥沃な土壌、
そして豊富な天然資源を持ち、大部分の地域において相対的に人口が希薄で、
拡張の余地を残しているからである。
東南アジア諸国は、米、ゴム、チーク材、トウモロコシ、錫、香料、石油、
その他多くの、輸出可能で豊かな余剰を算出する。

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