第3回十二神祇神楽大会続いております。
 
普段、能舞の具体的ストーリーで上演される石見神楽を見つけているので、抽象的な十二神祇舞いの展開についていけなくなる事があります。
 
石見の抽象的でワケワカラン演目というと、「かっ鼓・切目」がありますが、それでも見ていれば、
 
かっ鼓の神禰宜が「ウチのご主人切目の王子から、この太鼓を置けといわれるんだけれども、何処に据えても高いだの低いだの、右だの左だの言われてなかなか置き場が決まらない。でもまあ、頑張っていいところに置こう」といって太鼓の置き場を決める舞い
その置かれた太鼓を【ご主人】切目王子が何か言いながら太鼓に挑み、最後には上手いこと打ち鳴らすことができたという舞い。
 
という話は口上等で理解できます。
 
なんていうか、荒平は更に抽象的で歌を詠む問答でまた意味不明な事を言うし、解説を読まないとワケワカランのですが、解説を読んで何となく解ったつもりになっても、見ているとじゃあ一体これどういうことなの?って謎が残ってしまうというか。
 
こういう時、ウチの地元の更にシンプルな神楽も見ておいて良かった、経験値ってあるんだと思ったりもするんですけど。
 
まあ、石見神楽も、1年通って3年通ってワタクシの今がある訳で、2014年に上府社中さんの黒塚の口上とチャリが一発でわかってしまってたら、今頃こんなことになってないと思うんです←
 
そうそう、一番解りやすいのが新舞です。
説明的だし演劇的なので、何も知らない人達が見ても一発でわかる、だから外国人にもウケるよなあという。
 
まあいいや。
 
河津原神楽団さんの柴鬼神は荒平が出てくるんですが、これまで見た荒平/関のように
荒平は鬼に見えるが実は元人間で、今は魔法の杖の力で鬼となってその地で圧政を敷いていた。
そこに太夫がやってきて問答の末荒平から杖を取り上げたので、世の中は平和になった。
 
というストーリーではなく、荒平は何者かに盗まれた山の神の柴を探しているという設定になっています。
 
解説にあったストーリーを箇条書きにすると以下。
 
・     荒平は山の神から柴の守護を言い付かっていたが、うたた寝をしている間にその柴を盗まれた
・     荒平は盗まれた柴をあちこち探し回ったが、似たような柴はあっても盗まれた柴は見つからない。
・     そうしているうちに修験者が和歌を詠みながらやってきたので、荒平は修験者の詠む上の句に対して下の句を読んだ。
・     修験者から「神域を荒らすのは何者か?名乗って立ち去れ」と言われたので、荒平は「実は自分は須佐之男なんだ」「その証拠に宝物の杖を持っている」と言った。
・     荒平は「この杖は、太い方で招くと宝物を呼び寄せ、細い方でなでると老人の寿命を延ばす【シハンジョウの杖】というものだ」と説明した。
・     更に荒平、修験者に対して「この杖を差し上げるので、杖を神殿の下積みにでも使って欲しい。」と申し出た。
・     修験者はお礼を言い、杖と交換で荒平に神剣を与えた。
・     荒平は喜びの舞いを舞う。
 
という感じになってました。
 
まあ、説明的な演目じゃないので、ここはこうなんだと考えながら見るしかないんです。

でも見ただけだと多分わからないのです。

ホントに悩ましいですわ。
 
 
柴鬼神 河津原神楽団


河津原神楽団の歌の人。
歌うってったら、この人ですよって位、いい声の方。
 
声のいい人、手指の造作の美しい人って耳福眼福ですよね。
花の色は移りにけりないたずらに命短し苦しきことのみ多かりきなただのイケメンより更にイケメン度アップ。
 
今回も、歌を詠みますよ、聞くぞって気合い入る配役だなあ。


修験者配置します。
荒平登場。


荒平が舞うんですが、唐突に、この杖が重い?
どうもすごく重いみたいです。


とにもかくにも重いんです。


重いんじゃ!!!うぉーりゃーーーっ!

という舞いにしか見えませんでした。
 
ところでこの荒平の中の人、じゃなくて中の神がスサノオであったら、こんなに杖が重い重いっていう事になるんだろうか?
風体が鬼だから重いんだろうか?
ここではスサノオじゃないから重いんだろうか?
 
解説を先に読んじゃうと、こういうトコロで引っかかったり。
全体的に抽象的なだけじゃなくて、説明があったらあっただけ謎が謎を呼ぶ展開になっているというか。
 
難しいんだ、荒平。

そして、太夫(修験者)の持ってた柴を取り上げて、葉をむしってぽいします。

どうも、盗られた柴はこれじゃない、これじゃないぞーっていうところみたいです。


さあ、修験者が立ち上がります。

何で勝手に入ってきて我がトコロの柴をむしりよるんか。
それは不法侵入とか窃盗とかいう行為じゃろうが?

名を名乗れ。
そして出て行け!

っていうんです。
実際は違うけどそんな感じ。


ここで確か「峰は八つ谷は九つ・・・」って石見の鬼返しと同じ歌を歌うんです。

荒平の滑舌はいいです。

これがあるから、鬼返しの大悪鬼と同じって言うんだな。。
豊前の方では猿田彦なんですけど、、、、まあ、同じなんですよね。


問答の末、荒平の杖と修験者の宝剣を交換します。


宝剣を受け取って、喜びの舞いを舞う荒平。

喜びの舞いなんですけどね。
 
盗まれた柴は見つかっていません。

魔方の杖、もう手元にないんだけど大丈夫?

杖がないので山の神はもう荒平を探せないってんなら、結果自由になっていいんだけど。

(´・ω・`)わからん!


荒平って、何ていうか
いや、河津原神楽団さんのは柴鬼神なんですが。

山からやってきたり
どこかで悪いことをしてたりした鬼が
福をもたらす演目みたいなんですが

やっぱり、征服者がその圧倒的な武力を持って、その地の王というか酋長というか、その地での権力のしるしの杖を受け取る代わりに、元の支配者に臣下の印を与えましたという話なんじゃないかなあ?とどうしても思ってしまうんですよねえ。
 
 
沿海州だったかシベリアだったか、あの辺に
 
人間の一族はシャチの一族と戦って勝ったり負けたりしながらも陸の一族海の一族として一種の交流を持っていたが、ある時人間の一族がすごい威力のある武器を手に入れた。
それを知ったシャチの首領が人間に戦いを挑んだが、最後「シャチの一族は、その武器を手にした人間とは、もう今までのように交流はできない」と言って去って行った。
それ以来、人間はシャチの言葉が理解できなくなった。
 
とかいう民話があって、その武器というのが日本から持ち込まれた日本刀だったという話を読んだことがあるのですが。
 
日本刀の威力は、その武器としての性能も、霊的な力も、おそらく格段にとんがっていたんだろうなあと感じるんですよ。

ですので、これまで呪具的武器を使っていたが、他所から来た征服者の持っていた鉄の武器を知った荒平は、一族郎党連れて鉄の刀を持っていた征服者の下についたんじゃないか?
 
そういうこともあるので、余計あれ、ずーっと毎年祭りの時期にそういう征服者と被征服者の物語を繰り返して思い出されているんだなあという想像になっちゃうんです。
 
だから、重々しいというより、重苦しい空気を感じるというかなんというか。

 
河津原神楽団さんの荒平の魔法の杖は、鬼の力で持っていても、やたらめったら重量があって持つのに重かった模様なので、太刀と交換して身軽になってよかったのかもしれないなあというのが、ちょっとした救いのような気持ちにもなるのでした。
 
内容もずっしりでした。



旗舞  小河原火舞保存会

一転して軽やかな舞になります。
舞うのは子供さん。


軽やかです。

この、矢竹かな?とにかく細い笹竹に旗をつけて回すってのを舞にしたのはすごく画期的だ!と思うんです。

だって、単純に優雅な曲線を描く旗の軌跡と竹のしなりがきれいですもん。


天使天使。
いや、神子神子。

6本の旗を回してたんでしたっけ。


こういうプログラムの強弱の構成が憎いじゃないですか。

ワタクシ、最近胃もたれするようになって重い食べ物が続くとキツいんですよ←ってそれは老化というのではσ( ̄∇ ̄;)

→まだ続きますよ